一つの言葉にだって複数の意味がある

実際のところ、読者はいちいち筆者の背景にまで気にかけないし、筆者自身もわざわざ自分の生活環境なんて書かない。そもそも、その情報が条件付きであることを、筆者自身が自覚していないこともある。方言だと気づかず、方言を標準語だと思って話しているようなものだ。

だからしぜんと「一般化されたように思える海外情報」が氾濫し、「こっちの人とあっちの人、どっちの言い分が正しいのか」という不毛な論争に発展していく。

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ツイッターで見たことないだろうか? 「英語ではこれをこう言います」「いいえ、ネイティブはそんなこと言いません」「エリート層ならそういう言い回しをしますよ」「マッキンゼーで働いている友人からそんな表現を聞いたことはありませんが?」という、日本人同士の不毛な言い争いを。

オーストラリアの村に住む二児の母親と、ニューヨークのウォール街で働くサラリーパーソンでは、触れ合う英語がまったくちがう。そういった背景の差異を考えない議論は意味がないし、終わりもない。

それでも、自分が見知った海外情報だけが正解だと信じ、それ以外の情報を否定し、「わたしのほうがよりわかっています」マウント合戦がはじまる。わたしも、「いいえドイツには残業なんて存在しません!」と噛みつかれたことは、1度や2度ではない

たとえば、外国人同士が「『アホ』という日本語は罵倒の意味」「いいや、愛情のある『アホ』もある」「じゃあ上司に『アホ』と言ってみればいい、クビになるぞ」「わたしの職場ではよく使う」「いいやありえない」なんて言い合っていたとしよう。

「お雑煮食べたい」といっても地方によってはまったく違う味がでてくる Photo by iStock

日本人がこの会話を聞いたら、「片方は関西、たぶん大阪あたりのフランクな職場で働いているんだろうなぁ。もう片方はお堅い関東の会社かな?」なんて想像すると思う。

「アホ」は愛情を込めて使うこともできるし、罵倒としても使えるから、どちらの言い分も一理ある。というか、まちがってはいない。でも当の本人たちは、本気で「どちらがより正しい日本か」という言い合いをしているのだ。

こう考えると、海外情報の「どっちが正しいか論争」のバカバカしさがわかっていただけるだろう。「どっちが正しいか」ではなく、「どちらも正しい」という可能性も考えるべきなのだ。