追悼・緒方貞子さん「身長5フィートの巨人」その多大なる功績の全貌

彼女の「プリンシプル」とは何か
戸田 真紀子 プロフィール

でも、緒方さんは、UNHCRが撤退してしまったら、このゴマのキャンプにいる難民たちが生きていけなくなってしまうということで、残ることを決めました。その代わりに、これは反対も多かったことですけれども、ゴマはザイールという国の中ですから、ザイールの国軍を訓練して難民キャンプの治安維持を依頼するという形で、100万人の難民の命を救いました。

 

反軍部の家系

配付資料に載せていますが、緒方さんの書かれた『共に生きるということ』という本のサブタイトルはbe humaneで、「人間らしさに徹底せよ」という意味です。この「人間らしさに徹底せよ」という、この緒方貞子の信念はどこから来ているのか。次にお話ししたいと思います。

女性が平和的であるというのは、フィクションです。女性も兵士となって、戦場で人を殺します。イラク戦争のときに、米軍の女性兵士がイラク人の男性捕虜を虐待していたということは、皆さんも記憶に残っていらっしゃると思います。しかし緒方さんの行動については、女性であり、母であったということが、大きく影響すると考えます。

緒方さんは反軍部の家系です。戦時体験もおありです。さらに聖心女子大学、それからアメリカ留学を経験され、子どもさんも二人育てていらっしゃいます。緒方さんは初めて国連の場に行ったときに、「台所から国連にまいりました」と自己紹介をされたそうです。

まず反軍部の家系についてご説明します。曾祖父が五・一五事件で暗殺された犬養首相です。祖父も外務大臣も務めた外交官で、父も外交官です。

一つのエピソードをご紹介します。1938年、お父さま(中村豊一)が香港で日本政府代表総領事を務めていた当時は、日中戦争のさなかでした。蒋介石の国民政府の密使が彼を訪問し、和平交渉の仲介を依頼しました。つまり蒋介石には、日中戦争を終わらせたいという考えがあったということです。

中村総領事は、すぐに日本に向かったわけですけれども、当時の日本政府は蒋介石の国民政府とは交渉しないという方針があり、日本政府は和平交渉を拒否しました。この結果、満州事変からの日中戦争が継続され、太平洋戦争に至って、広島、長崎、敗戦という道に、日本は進んでいきました。

緒方さん自身、1945年3月10日の東京大空襲を経験しています。隣家にまで炎が迫ったと書かれています。そして8月15日は敗戦です。自分の国が負けるということ。それまで分からなかったことが、実感できたと書かれています。