追悼・緒方貞子さん「身長5フィートの巨人」その多大なる功績の全貌

彼女の「プリンシプル」とは何か
戸田 真紀子 プロフィール

次はボスニアです。これは緒方さんが防弾チョッキを着て、ヘルメットをかぶって、現地の空港に降りたって歩いているところの写真です。笑顔で笑っていらっしゃいますけれども、いつ攻撃を受けるか分からない。実際に襲撃の情報が入って、急きょ経路を変えたということもあるぐらい厳しい状況で現地を視察されたときの写真です。

ボスニア内戦ですが、停戦合意がない戦闘状態の中で、人道援助をするかどうかという決断を、緒方さんはこのとき迫られました。実際にUNHCRのスタッフが乗ったヘリコプターが撃墜されて、スタッフが亡くなるという事件が相次いでおり、緒方さんは一時は援助を中止するという強硬手段に出たときもありますが、サラエボの人たちを助けるために、援助物資を空輸するという決断をされました。

ボスニアでは、スレブレニツァの虐殺という事件もありました。去年、私は現地へ行って、メモリアルセンターでビデオを見ました。

このときに犠牲になった8000人というのは、全部男性です。サバイバー、生き残った女性たち。つまり夫や息子たちを連れていかれた女性が証言しているビデオを見てきました。自分の目の前で夫が連れていかれた、もし私があのときに「夫を連れていかないで」と叫んでいたら夫は助かったかもしれないと、涙ながらに、生き残った方々は話しておられました。

この虐殺は避難民を武装集団が襲ったということで、UNHCRのトップとして、緒方さんは非常に苦しい立場、もしくは悲しい立場にいました。

1997年〔PHOTO〕Gettyimages
 

ルワンダでの難事業

3つ目はアフリカの中部にある小さな国、ルワンダの難民キャンプの運営です。1994年、ルワンダのジェノサイドが起こりました。民族紛争としてよく紹介されていますが、決して民族対民族の紛争ではありません。ツチ人だけではなく、首相も含むフツ人の穏健派もターゲットとされ、ルワンダ政府軍とフツ人過激派民兵が、100日間で50万から80万といわれる人びとを殺害しました。全体で100万人が犠牲になっています。

亡命ツチ人主体の反政府勢力である「ルワンダ愛国戦線(RPF)」が首都を占拠した後、今度はツチ人やフツ人穏健派を殺してきたフツ人過激派の軍人と民兵が、一般市民を盾として、主に周辺国の難民キャンプに逃げていきました。

ただ、その難民キャンプで武器を手放すことなく、食料援助も牛耳って、いつかは難民キャンプをベースとして、ルワンダに攻め込んでやるぞというようなリーダーたちが沢山いた状況です。

緒方さんはザイールのゴマに100万規模で流入したルワンダ難民を支援するための、ゴマの難民キャンプへの対応に苦しまれました。ゴマの難民キャンプでは、元戦闘員たちが武器を持って牛耳っているわけです。そういう元戦闘員、つまり虐殺に責任がある人間に、どうして支援ができるのかという声がNGOから上がりました。国境なき医師団は実際に撤退しました。