追悼・緒方貞子さん「身長5フィートの巨人」その多大なる功績の全貌

彼女の「プリンシプル」とは何か
戸田 真紀子 プロフィール

さらに大きな試練が緒方さんを待ち受けていました。 就任前ですが、1989年12月に冷戦が終結しています。私が大学生のときは、冷戦さえ終われば世界に平和が戻るというふうに習っていましたが、実際に冷戦が終結してみたら、世界中で地域紛争が噴出しました。

1991年から2000年の世界、主なものだけスライドに挙げています。91年には湾岸戦争。アフリカのソマリア内戦。シエラレオネ内戦。それからヨーロッパにおいて、旧ユーゴスラビア内戦。その中でも一番悲惨な現実を突きつけたボスニア内戦。それからアフリカで、たった100日間で80万人が虐殺されたルワンダのジェノサイド。そして周辺国まで巻き込んだコンゴ戦争。とにかく沢山の難民が噴出し、緒方さんはその対処に追われました。

 

側近の大反対を押し切って

緒方さんの一番大きな貢献の一つは、UNHCRの従来のルールを変えて、人びとの命を助けたことにあります。緒方さんは行動規範、ルールを変えて、このルールよりもプリンシプルを守ろうというふうにしました。緒方さんにとっての基本原則、プリンシプルは、「人の命を救わなければならない」ということです。

3つの事例をご紹介します。 一つ目がクルド難民です。1991年の湾岸戦争で、わずか4日間の間に、イラク北部に住んでいたクルド人180万人がイランやトルコの国境地帯に逃げてきました。イランはクルド人を難民として受け入れました。しかしトルコに向かった40万人のクルド人に対して、トルコ政府は受け入れを拒否しました。

国際社会では誰を難民として扱うかというルールが決まっています。1951年の難民条約第1条の難民の定義では、「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」という条件に加えて、「国籍国の外にいる」という条件が付いています。

先ほどのイランに向かった人たちは、イラクとイランの国境線を越えることができたので難民として扱われます。でも、トルコに向かった人びとは、イラクとトルコの間の国境線を越えることができなかったために、難民ではなく国内避難民と呼ばれるグループに入ってしまいます。

UNHCRの仕事は難民に対する救援、援助になります。国内避難民まで助けるということは、UNHCRの本来の任務ではありません。国内避難民まで助けると、莫大なお金が掛かります。人員も派遣しないといけない。救援物資の用意もしないといけない。緒方さんの側近たちも大反対をしました。

でも、緒方さんはプリンシプルを優先するということで、トルコが受け入れを拒否したクルド人の人たちを国内避難民として、イラクの中で国内避難民キャンプを作って救援するということを行いました。