追悼・緒方貞子さん「身長5フィートの巨人」その多大なる功績の全貌

彼女の「プリンシプル」とは何か
戸田 真紀子 プロフィール

UNHCRのお仕事の手順をご説明致します。援助活動には3段階があります。 最初は、緊急支援です。2011年のUNHCRの報告書では、難民の半数は女性と子どもです。こういう人たちが急に紛争に巻き込まれたなどの理由で家から追われて難民キャンプに入ったときに、まず何をしないといけないのかというのが緊急支援になります。

まずは医療です。栄養失調の子どもたちへの治療や、伝染病の予防接種などが最優先になります。お医者さんや医薬品なども極めて足りていないという状況があります。それから女性と子どもは、避難を強いられた非日常の中での社会的弱者になるため、特に支援の対象になっています。また、水の供給。人間は水なしには生きてはいけません。UNHCRは安全な水を確保し、難民キャンプでは一人当たり最低1日15リットルを供給するということを目標にしています。

避難が長引くことがあります。その場合は中長期支援に入ります。まずは教育です。子どもたちに学校教育を与える。特にアフリカではそうですが、親御さんも読み書きや計算ができていない。そういう世帯が多いですから、子どもは学校に行かない限り、読むことも、書くことも、計算することもできません。メンタルケアですけれども、虐殺を目の当たりにし、性的暴力などの被害を受けた人たちへのカウンセリングも行っています。

そしていつかは故郷に帰りたいということがありますから、帰った後、どうやって食べていくかということで、さまざまな職業訓練を行っています。

最後が難民の帰還事業です。難民たちの一番の願いは、平和の戻った故郷で家族と暮らすこと。そして家づくり指導と資材の供給を受けて、自分たちの手で家を作っていく。植林などの技術も得て、こうやって自分たちの村に帰って生活を再建していく手助けをするのがUNHCRの最後の仕事になります。

 

緒方さんが生きた「地域紛争の時代」

緒方さんが難民高等弁務官になられた当時、1991年から2000年までの日本は、海部(俊樹)内閣、宮沢(喜一)内閣と続き、1991年から1993年にバブルが崩壊し、その後、失われた20年に突入していきます。

ちょうど1992年から1993年は日本でカンボジア支援が話題となり、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)のトップとなった明石康さんの方にマスコミも注目しがちでしたけれども、緒方さんは国際的には非常に大きな貢献をなさいました。

緒方さんが難民高等弁務官に就任した1991年。この時点ですでに世界には沢山の内戦が起きていました。アジアではミャンマー、スリランカ、アフガニスタン。ラテンアメリカでは、グアテマラ、コロンビア、エルサルバドル。アフリカではアンゴラ、モザンビーク、スーダン。多くの難民がUNHCRの援助を受けている、そういう1991年でした。