コフィー・アナン国連事務総長(当時)と(2002年)〔PHOTO〕Gettyimages

追悼・緒方貞子さん「身長5フィートの巨人」その多大なる功績の全貌

彼女の「プリンシプル」とは何か

10月22日、国連難民高等弁務官などを務めた緒方貞子氏が他界した。以下は、京都女子大学の戸田真紀子教授が、2014年12月に開催された同大現代社会学部の公開講座「平和を考えた日本の研究者たち」で行なった講演「女性と平和−緒方貞子から学ぶ−」の記録である。緒方氏の来歴に触れながらその多大なる業績や思想を紹介している(文中で言及される「スライド」「写真」は、紙面の都合上、掲載できなかった)。

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「小さな巨人」

皆さま、こんにちは。これから「女性と平和─緒方貞子から学ぶ─」というタイトルでお話をさせていただきます。 まず緒方貞子さんの紹介をします。1927年、昭和2年のお生まれです。国際政治学者で、人権とか国連について、沢山のご業績があります。緒方さんの研究は、「どうして日本は戦争をしたのか」というところから出発しました。満州事変以降、軍部の暴走を止められなかったのはなぜか。

また、68年、70年の国連総会において、人権問題を審議する第三委員会に出席されたことから、人権の国際的擁護などのご業績もあります。本日は、研究者としての業績よりも、国連を場にした緒方さんの活躍を中心にお話しさせていただきます。

1976年、日本女性として初めて国連公使となられました。そして第8代国連難民高等弁務官を1991年から2000年まで務められました。1990年12月、国連総会で選出され、女性としては初めての難民高等弁務官になられました。また、現時点で最長期間務めた難民高等弁務官として、「小さな巨人」といわれて国際的に高い評価を得ておられます。

難民高等弁務官の仕事について、緒方さんは次のように話されています。

「国連ができて5年後の1950年に、難民高等弁務官という役職ができました。世界の難民(難民というのは国家の保護から外れた人たちです)…簡単に申し上げれば政治的あるいは宗教的、あるいは様々な信条ゆえに国家の迫害を受けて、国家には留まれなくなって国境を越えて他国に行った人達です。そうなると誰がこういう人達を保護するか。その時に国際社会は、国連の中にそういう役職を置いて、国家から逃れた人達を保護するという非常に大きな役割を難民高等弁務官に与えたわけです」(1999年琉球フォーラム講演)

 

「現場」に出続けたトップ

ここから紹介する数字は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のサイトから取っております。UNHCRの援助対象者は全世界に広がっています。4000万人以上の人びとを約7000人のスタッフが一生懸命援助している、助けている、支援しているというのがUNHCRです。

緒方さんは、スイスのジュネーヴにあるUNHCRの本部で、立派な机と椅子に座って指示を出していたのではなくて、こうやって現場に赴いて、さまざまな決断をされました。