ということで、2つ目の反論だ。それは、「行動によって方向が決まる主体的な進化もある」とダーウィンが考えていようがいまいが、そんなことはどうでもよいということだ。
自然淘汰の仕組みは以下のように表せる。
当たり前のことだが、もし1〜3の条件が満たされれば、自動的に4は実現する。つまり、1〜3の条件が満たされれば、必ず自然淘汰は起きる。生き残る子の数が異なる原因が、気候だろうが行動だろうが、そんなことは関係ないのだ。
筋肉国と記憶国のたとえでも、1〜3の条件は満たされているはずだ。なぜなら、どんな行動をしようが、個体間に遺伝的変異は生じるだろう(これが1)。
そして、国民の特徴が変化したということは、そのお国柄に合わない個体の子の数が少なかった、つまり、そのお国柄に合わない個体が減っていったということだ(これが3)。
だから、もし過剰繁殖をしていなければ、だんだん国民が減って、絶滅してしまう。でも、絶滅しなかったのだから、過剰繁殖をしていたに違いないのである(これが2)。
つまり、生物がいかに行動するかを自ら選択したとしても、自然淘汰はきっちり働いているのである。
したがって、「進化には、ダーウィンの言ったような受け身の進化だけではなく、行動によって方向が決まる主体的な進化もある」と言う意見は、進化のメカニズムという点では正しい。
ただし、ダーウィンに関する記述は間違っている。
正しくは、「進化には、ダーウィンが強調したような受け身の進化だけではなく、ダーウィンが(言わなかったわけではないけれど)強調しなかった、行動によって方向が決まる主体的な進化もある。しかし、そのどちらにも、ダーウィンが主張した自然淘汰がきっちり働いている」ということになる。
行動によって方向が決まる主体的な進化も、あくまで自然淘汰によって起きているにすぎない。ダーウィンを超えたと思ったけれど、実はダーウィンの掌(てのひら)の上にいたのである。
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