あなたは何に進化したい? 進化の方向を自分で決める方法

人間はダーウィン進化論を超えるのか?
更科 功 プロフィール

ダーウィンを超えた現在の進化学

最近、「ダーウィンの進化論を超えた進化が存在する」という意見を、しばしば聞くようになった。「進化には、ダーウィンの言ったような受け身の進化だけではなく、行動によって方向が決まる主体的な進化もある」というのである。これは日本にかぎったことではなく、西欧にもそういう意見を言う人がいる。

そういう意見が正しいかどうかは後で考えるとして、一つ確かなことは、「ダーウィンを超える」ことには、今でも価値があるということだ。やはり今でも、ダーウィンは人気者なのだ。人気がない人を超えたって、嬉しくもなんともないだろう。

しかし、現在の進化学は、とっくにダーウィンの進化論を超えている。ダーウィンの主張した進化モデルを、そのまま認めている進化学者はもういないだろうし、そもそも多くの進化学者は、ダーウィンの『種の起源』を読んでいないと思う。

私が大学院に行っていたときには、しばしば大学院生のあいだで、自発的な読書会が開かれていた。そこでいろいろな本を読んだけれど、『種の起源』を読んだことはない。私が『種の起源』を読んだのは大学院を出てからで、それも研究に必要だったからではない。なんとなく気晴らしに読んだのである。進化の研究をするためには、もはや『種の起源』を読む必要はないのだ。

【写真】種の起原の扉
  『種の起原("On the Origin of Species")』扉 photo by gettyimages

とはいえ、『種の起源』に書いてあることが、すべて時代遅れになってしまったわけではない。その中のいくつかは、とくに進化のメカニズムとしての自然淘汰は、今でも進化学の基礎になっている。それさえ認めないのであれば、それはダーウィンに気の毒である。

ダーウィンの掌(てのひら)の上

さて、「進化には、ダーウィンの言ったような受け身の進化だけではなく、行動によって方向が決まる主体的な進化もある」という意見を検討してみよう。私はこの意見に対して、反論が2つある。

 

まず、1つ目だ。たしかに、「ある環境に適するように生物は進化する」と言われれば、進化は受け身なものだと考えたくなる。しかし実際には、筋肉国と記憶国のたとえのように、生物の行動によって進化の方向が変わることもある。つまり生物は、主体的に進化することもある。だから、ダーウィンの進化論はおかしいと思いたくなる。

でもダーウィンは、もとは1つの種だった生物の子孫が、多様な行動をするようになった結果、異なる場所に広がって進化していく可能性についても述べている。そして、そのことが種分化につながるとも考えていた。だから、行動によって進化の方向が変わることも考えていたのである。

ただし、こういう反論をするのは、私がダーウィンびいきだからかもしれない。ダーウィンが行動によって進化の方向が変わる可能性を考えていたのは事実だが、そのことをあまり強く主張していないことも、また事実である。こういう誤解を生みやすい書き方をしたことについては、ダーウィンに非があるかもしれない。