「このままでは家庭崩壊まで行きますよ」

今回も結局、同じ結果になるだろうとためらう私に、白衣姿もりりしい女性の相談員さんが言った。「お母様は私どもにお預けになって、あなたが少しゆっくりなさってください。このままでは家庭崩壊まで行きますよ

Photo by iStock

あまりにも親身で深刻な口調だった。家庭崩壊、とは、おそらく婉曲な言い回しだったと思う。あのとき相談員さんは、虐待、心中、介護殺人を危惧されていたのではないだろうか。
 
私は彼女の提案を受け入れ、母を病室から老健に移した。何か訳がわからない様子で、母は車椅子で病棟から廊下を抜けて老健に移った。
 
──明日には介護士さんが音を上げるよ。絶対、無理──
 
そんな事を思いながら、母がふたり部屋のベッドに移されたのを見届け、その夜私は帰宅した。

翌日、早々に老健から電話がかかり、さて、引き取りにいくか、と覚悟を決めたところが……。「落ち着いていらっしゃいますよ」という意外な報告だった。
 
一度、二度、だめでも、諦めるな、ということだ。
 
もちろんその後、「なぜ私はここにいるのか」「こんなところで無駄金を使ったら将来飢え死にする。家に帰る」が始まるわけだが、2週間ほど面会を控えるようにと指示され、静観するうちに、意外にも馴染んでくれた。
 
かつて看護師として働いていた母は、ユニフォーム姿の介護士さん、看護師さん、精神科のお医者さんが出入りするフロアで、そこが自分の職場だと思っているふしがあった。他の入所者の方々と冗談を言って笑い合っている姿も見た。
 
そうして少なくとも、1年2ヵ月を老健で過ごすことができた。あの相談員さんの真摯な対応ときっちり引かれた口紅の色を私が忘れることは決してないだろう。