「自分/他人は何者かである」という考えは、つねに誤謬である

失われた小説をもとめて【4】
藤田 祥平 プロフィール

明日、おそらく立てないだろうと思いながら…

私は刺身の盛り合わせと酒を頼んだ。

「寒いですね」と私は言った。

ところで、それは八月のことだった。

「そうですか?」と女将は言った。

「ええ、大阪から来たものですから」私は酔っ払っていたので、どうでもいいことばかり言った。「やはり国が違うように感じますね」

「まあ、大阪から? お仕事ですか?」

「ええ…………………………………………まあ………………………………」

ここでは作家だとは言わなかった。頼りない気分だったからだ。

それから私はしばらく黙って飲んだ。

 

ところで、酒も刺身もじつに見事なものだった。明日、おそらく立てないだろうと思いながら、ただ飲んだ。

「お兄さん、ずいぶんご機嫌だけれど、もうどこかで飲んできたの?」

「ええ。第三振興街というところで」

「えっ」と女性は言った。

「えっ」と私は言った。

「まだあるんですか、第三振興街?」

「ありましたよ、ほとんどの店はやっていないみたいだったけど」

「そうなんだ……」

「なにか、まずいところなんですか?」

「どうなんでしょう。わたしが子供のころからあって、絶対にあそこへは近づいちゃいけないよって言われてたところだから。大丈夫だったんですか?」

「……ええ」

「あの、本当に、やってたんですか?」

「………………たぶん」と私は言った。

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