「自分/他人は何者かである」という考えは、つねに誤謬である

失われた小説をもとめて【4】
小説デビュー後、筆が動かなくなり、車で日本最北端を目指す旅に出た藤田祥平さん。大阪を出発し、今回は青森から北海道へ。青森のスナックで淑女たちの津軽弁を聞いた。人生を考えた。北海道に着くといつもの流れがいやになり、贅沢がしたくなったものの……。

【第一回:新人小説家は期待に押しつぶされ、大阪から日本最北端へと逃げ出した】

「なにもないのね、書くことが?」

私は青森の奇妙なスナックで酒を飲んでいた。

「まあ、作家さんなのね。お名前を聞いてもいいかしら?」

私は名刺を渡した。

ところでこの名刺には、大阪と東京の住所が刷られているが、いずれの部屋もすでに退居している。在庫はまだ三百枚ほどあった。

「……勉強が足りなくて、存じ上げないけれど。お若いから、デビューされたばかり?」

「ええ」

「頑張ってね。私も、本は好きだから。でも、こんな果てまで来るような仕事って……?」

「なにか創作の種が見つかればいいと思ったんです。本が出て、よかったけれど、でもまた新しいのを書かなくちゃいけないから」

「ああ、そういうこと」銀齢の淑女は微笑んだ。「ということは、なにもないのね、書くことが?」

私は告解をするような気分になった。

「二十七になるまでに作家になれなかったら死ねばいいと思った。そう思っていたら、二十七で本が出てしまった。全身全霊をつぎ込んだんです。あとのことをなにも考えていなかった。なんにもないんです。もう僕の冷蔵庫のなかは空っぽなんです」

「そう」銀齢の淑女は微笑み、やさしい声色で言った。「それじゃあ、どうしたらいいのか、いっしょに考えましょうね……」

 

ところで、こんな会話は、実際には起こらなかった。

実際に起きたことは、ほかの二名の銀齢の淑女の乱入である。

この淑女二名は、入ってくるなり、さんぷるのママが死んだ、と言った。

それで店の話題はいっぺんにそちらのほうに流れた。

話を聞いていると、さんぷる、というのは、おなじ第三振興街にあるスナックの名前らしい。私は彼女らの話から、さんぷるのママとはいったいどんな人生を歩んできたひとなのか、どんな店であったのか、この地域でどんな繋がりを持っていたのか、といったことを拾い上げようとした。

が、できなかった。

おそらく、彼女たちはそういう話をしていたはずである。ひとが死んだときには、みな、そのひとがどんなひとであったか、話をするものだ。

しかし、問題がひとつあった。