立派な父親に憧れた男が、娘を凄まじい「虐待死」に追い込むまで

目黒女児虐待死事件の「真相」(3)
石井 光太 プロフィール

虐待は「しつけ」でしかなかった

雄大はしつけを自分がすべてすると宣言して以降、結愛ちゃんを六畳一間の部屋に閉じ込め、日常生活から勉強にいたるまで、より厳格なルールをかした。

特に厳しかったのが食事制限だった。肉や魚、それに炭水化物といったものを与えず、もずくや五目豆といったものを食べさせるだけで、それも日に1回だけということもあった。そして毎日体重計で体重を計り、それを記録させた。

これによって東京へ行く前の1月4日には16キロ以上あった体重が、死んだ時には12.2キロまで落ちるのである。成人の女性でいえば、48キロあった体重が、わずか2ヵ月(実質1ヵ月半)で36キロにまで落ちたのと同じである。結愛ちゃんの体が5歳児の未成熟なそれであったことを考えれば、肉体的にどれだけの負担がかかっていたか想像を絶する。

 

なぜここまで雄大は体重を減らすことに執着したのか。一部では雄大が結愛ちゃんを「モデルにしたかった」などと報じられてきた。だが、雄大自身はそれを否定した上で、「体型・体格というより、数字にしか着目していなくて、結愛が太っているという認識はなかった」と語っている。就職活動がうまくいかない焦燥感と、自分がしつけをしなければという思い込みで冷静な判断ができなくなり、ひたすら数字を下げることだけに執着していたのだろう。彼自身公判の中で「どうしていいかわからなくなっていた」とこの時の状況を説明している。

優里は、そんな結愛ちゃんを積極的に助けることはしなかった。雄大に隠れてチーズやチョコレートを少しだけ与えることはあったが、ハイムから連れ出したり、人に助けを求めたりすることはせず、むしろ雄大に怒られないようにと日々のルールを紙に書いて部屋中に貼った。

〈何かをする時は終わった後に何分かかったか確認する〉〈勉強する前に「結愛は一生懸命やるぞ」と言う〉〈終わった時に「終わったぞ」と言う〉〈うそをつない、ごまかさない、あきらめない、にこにこ笑顔で〉……。このような貼り紙が余計に結愛ちゃんを追いつめることになった可能性はある。

こうした状況下においても、雄大は結愛ちゃんが死ぬとは微塵も思っていなかったという。それは就職活動がうまくいかずに経済的にも困っていた時期に、小学校の入学に備えて高価なランドセルを購入していたことからも裏付けられている。この場に及んでも、雄大にとって虐待は「しつけ」でしかなかったのだ。