講談社に解散の危機…4代目社長を襲ったGHQ「出版粛清」

大衆は神である(73)
魚住 昭 プロフィール

自分が辞めさえすれば

1月21日、省一は出版協会に石井を訪問し、真意を打診した。そのとき石井は、

「あなたが辞任される必要はないと思う。貴社ではすでに、他に先んじて粛清を遂行しているのであるから、そのうえ、あなたまで辞任の必要はない。ただし、それでもあなたが辞任するというのであれば、それはもう十二分のことで、後のことは私が絶対に責任をもって保証する。

なおまた、後任の社長については鶴見祐輔氏はどうであろうか。鶴見氏は公職追放に抵触しているが、非常に立派な人だから、私が司令部と交渉して、同氏の就任が可能のように尽力してもよい」

と語った。石井はGHQの威光をチラつかせながら、省一の追い出しにかかったのである。

再び省一の証言。

〈(11月の)役員会で全員辞めて、あとにバトンを渡したほうがいいんじゃないかということで、当時は奈良さん(と私)だけが残ったわけですね。それで通してゆけるんじゃないかという見通しであったわけです。ところが、やはり野間家というものに対して非常に風当たりが強かった。バーコフに会った印象ではそういうことは全然なかったですが、石井満君はバーコフさんに会って粛正(ママ)の方針の指示を受け、それをこちらが(石井君に)聞きにゆくと、ああやれこうやれと出してくる。(GHQの直接の指示でないので)講談社としては、どういう方法がいいか、どうやったら出版の仕事をしてゆけるだろうか(さんざん迷う)という話になるわけです。こうした石井さんの動きは将来に非常に尾を引きました。いい加減なことを言ってきては引っ搔き回したという印象を後に残していったわけですね〉

省一は「石井満の言動に、若干の不明なものを感得しながら」(講談社五十年史)も、自分が辞めさえすれば講談社は安泰だと思い、社長辞任を決意した。

 

除名の緊急動議!

1月24日午前10時から、芝の田村町(現・港区新橋1丁目)の飛行館ホールで日本出版協会の臨時総会が開かれた。

冒頭、石井がGHQ民間情報教育局のダイク局長から寄せられた「日本再建の指導的立場の適任者となるため、出版人たちが自分たちの家をクリーンにするよう促す」というメッセージを大声で読み上げた。

その後、民主主義出版同志会の佐和慶太郎が緊急動議を提出した。佐和は「軍部官僚と結託し侵略戦争の宣伝挑発に従事した」戦犯出版社として講談社、旺文社、主婦之友社など7社を挙げ、この7社の「即時日本出版協会からの除名」による出版業界からの追放を提案した。

7社の即時除名案は、248票対229票で可決された。除名されれば、講談社は今までのように用紙の割り当てを受けられなくなる。万事休すである。

註1:萱原宏一『私の大衆文壇史』(青蛙房、1972年)より。
【参考文献】
赤澤史朗「出版界の戦争責任追及問題と情報課長ドン・ブラウン」(『立命館法學』2007年⑹)
野間省一伝編纂室『野間省一伝』(講談社、1996年)