講談社に解散の危機…4代目社長を襲ったGHQ「出版粛清」

大衆は神である(73)
魚住 昭 プロフィール

「戦犯七社」

勢いづいたのは、共産党系の出版社である「人民社」の佐和慶太郎(さわ・けいたろう)、「彰考書院」の藤岡淳吉(ふじおか・じゅんきち)らだった。彼らは「民主主義出版同志会」を結成し、“戦犯出版社”のリストをつくって、大出版社を攻撃しはじめた。リストの中で戦争責任が最も重いとされたのは講談社、主婦之友社、新潮社、旺文社、第一公論社など7社で、これらは「戦犯七社」と呼ばれた。

1月14日の新聞は、日本出版協会が9日のGHQスポークスマンの言明の線に沿い、あらかじめ、次のような基準で、出版界の粛清準備を進めていると伝えた。

一、直接軍または官庁より、用紙の特配を受けたもの。
一、軍国主義的、超国家主義的思想を鼓吹し、その宣伝普及に努めたもの。
一、自由主義的立場を攻撃、または、抑圧せんとしたもの。
一、軍国主義的、国家主義的団体の迎合、あるいは、連絡のもとに出版し、あるいは庇護を受けたもの。

講談社が、この4つの基準の全部もしくは大半に該当するのは明白だった。

 

これより4日前のことだが、1月10日、萱原宏一は監査役の松下嘉行と2人でお茶の水の日本出版協会に、理事長の石井満(いしい・みつる)を訪ね、粛清問題について懇談した。

石井は東京帝大で新渡戸稲造の教えを受け、鉄道院、東京市電気局勤務の経験もある男である。同じく新渡戸門下の鶴見祐輔と親しく、その縁からか、政治家の後藤新平(鶴見の義父)幕下の1人として数えられたこともあった。石井は、

「お宅の奈良さんは戦争中講談社を代表して業界活動をされた著名な方ですから、是非辞めていただかねばなりません。その措置さえとっていただけるなら、それでもう十分です。後は誓って私が善処いたしますから、この一点だけはよろしくご配慮下さい」

と言った。萱原と松下は社に帰って、石井の意向を省一に報告した。省一と奈良は相談し、即座に奈良が常務を辞任した。

翌日、萱原と松下はまた、石井を訪ね、

「奈良さんはお話の趣旨もありましたので、即座に辞任しました。お含みおきください」

と言うと、石井はやや語勢を強め、

「野間さんはとんでもないお考え違いをなさっておられる。問題は奈良さんなんかにあるのではなく、野間さんご自身の問題なんですよ」

と言い放った。萱原と松下は真っ赤になって石井の食言を責めたが、彼は言を左右にして一向にらちが明かなかった註1