講談社に解散の危機…4代目社長を襲ったGHQ「出版粛清」

大衆は神である(73)
魚住 昭 プロフィール

省一、社長に就任

高木は戦時中からの心労が積み重なって健康を害し、すでに引退を考えていたらしい。しかし一方、自分の知らないところで辞任話が進んでいたことにショックを受け、誰かが自分を追い落とすために仕組んだ陰謀ではないかという疑いを払拭できなかったらしい。

高木は高橋宭一を呼び、「(辞任勧告の)発頭人(ことを企てた張本人)は誰か?」と、しきりに訊ねた。宭一は「わたしは第二回目の会合から入ったが、誰がどうというんじゃない、いわば自然にそういう空気になっているんです」と説明した。

 

それからまもなく、高木は役員会を招集して「私は辞めるが、皆さんはどうなさいますか」と訊いた。「他の役員たちは、御大将がそういうものですから、皆さんも運命を共にしますということで、総辞任ということになった」(松下談)。

目白邸の事務日誌を見ると、11月10日の「来訪者」の欄に「夜 重役会議 淵田(忠良)様、長谷川(卓郎)様、奈良(静馬)様、加藤(謙一)様、橋本(求)様、武藤(正三)様、松岡(然治)様」と記されている。たぶん、この会議(高木と省一は目白邸住まいなので名前が省かれているが、当然出席しているはずだ)で「総辞任」が決まったのだろう。

4日後の11月14日の欄には「台町様、高木様 御出社後、伊東へ御出張」とあり、翌15日には「台町様、高木様 午后六時四十分伊東より御帰邸」と記されている。

台町様とは、目白邸から歩いて3分の別邸(台町邸。空襲で焼失)に一時住んでいた省一のことである。おそらく省一と高木は重役会の決定事項を社長の左衛に伝えるため、伊東に行ったのだろう。伊東には野間家の別荘があり、当時、左衛はそこに滞在していたと思われる。

省一や高木の報告を聞いて、左衛はどんな反応を示したのだろうか。いくら経営にほとんどタッチしていなかったとはいえ、社員たちの造反に屈した形で辞めるのは不愉快だったにちがいない。しかし、省一の人柄や能力を見込んで婿に迎えたのは他ならぬ左衛自身だったのだから、社長の椅子を省一に譲ること自体に異存はなかったはずである。

11月17日、省一は正式に社長に就任した。

新重役陣には、社内刷新運動の核となった萱原宏一、高橋宭一、松下嘉行ら7人が就任し、社員会の委員長には茂木茂、常任委員に田村年雄らが顔を並べた。

17日付の社告は「社内の民主的運営を徹底し、全社員の総意を力強く経営に反映せしむるため、講談社社員会の結成を終了」し、「平和日本建設のため、読者各位とともに、その使命に邁進」したいと声高らかに宣言している。