講談社に解散の危機…4代目社長を襲ったGHQ「出版粛清」

大衆は神である(73)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業家・野間家が歩んできた激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」。

戦争終結を迎え、日本の無条件降伏を知った野間省一ら講談社の幹部たちは、陸軍と蜜月関係にあった以上、無事で済むはずはないと考え、社の存続のため今後の方向性を探っていた。一方その頃、社員たちの間では、講談社変革の火種がくすぶりはじめていたのだった──。

第八章 再生──狂瀾怒濤(2)

誰が辞職勧告を経営陣に伝えるか

昭和20年11月初旬、講談社の変革を目指す社員の輪は急速に広がり、30~40人規模に達した。彼らは本社3階の8号室に集まり、主として社員の待遇や社内の民主化について議論を重ねた。やがて、社員たちの主張は先鋭化し、『講談倶楽部』編集長の原田常治は「給与を倍にすべきだ」と言い出した。

さらに、現経営陣の下では思い切った変革はできず、新たな時代に対処できないという意見が大勢を占め、野間省一と奈良静馬を除く全役員に辞職勧告することに決した。

問題は、誰がそれを経営陣に伝えるかである。秘書課長の松下嘉行が8号室に呼ばれた。

 

松下は、8ヵ月ほど前の給与改定問題では、『富士』(昭和18年、『キング』を改題)編集長の萱原宏一や書籍部企画課長の田村年雄と協力し合った仲だが、社員会結成の謀議には加えられていなかった。秘書課長という経営陣に最も近い立場にいたため、機密が漏れないよう遠ざけられていたのである。

松下の証言。

〈社員会の結成は、私は知らなかったが、いよいよできたという時に呼ばれたんだね。八号室に入っていったら、(萱原や高橋宭一ら)お歴々が並んでいた。そしてこういうふうなのができたから君も入ってくれといわれ、皆が入ったからというので私も社員会に入ったんです。すると、皆が「ついては、役員は辞任されるのが適当だと我々は思うが、問題は高木さんだ。高木さんさえ承知すれば、他の人たちは高木さんから言ってくれるのじゃないかと思うが、あんたは高木さんと親しくしているから、あんたからひとつ言ってもらえないか」と言う。私もいろいろ考えたが、「とにかく社員会の意向を高木さんに伝えるだけ伝えましょう」と言い、こういうことはなまじ考えちゃいけないからと思って、すぐその足で高木さんに話しに行ったんです〉

松下は高木に、できたばかりの社員会について説明したうえで、こう質した。

「敗戦を契機として新時代の運営をしていかなくてはなりません。講談社はいろいろと戦争中に戦争に協力したし、これは明らかな事実だから、いちおう全首脳者はここで身を退いて、新しい時代に対処した組織でやるという説がありますが、高木さんはいかにお考えですか」

高木は言った。

「そう言われなくても、私はもうその説には賛成なんだ。それで近く辞めたいと思っていた。しかし、そういう(総辞任の)説なら、私が辞めることは確かですが、他の役員の御意向は知らないから、(私から)伺ってみましょう」