天才が生涯でいちばん輝いた年…「1995年のイチロー」は凄すぎた

河村健一郎×パンチ佐藤×岩本勉
週刊現代 プロフィール

佐藤 私生活もしっかりしていて浮ついたところがない。何より、コツコツ努力ができる男だった。

岩本 オリックスの人に聞いたことがあります。調子が悪いと、合宿所のマシンを相手に夜中までボールを打っていた。

河村 1年目から何度か一軍に呼ばれたけど、まだ体に力がついていないから、速い球に差し込まれてフライアウトになることも多かった。それを見た一軍首脳陣は「この打ち方では打てない。足の速さを活かすためにゴロを打て」と、振り子打法をやめるように強制しようとした。それでもイチローはフォームを変えない。

結果が出ず、秋季キャンプの後、イチローは「もう一軍に行きたくない」と悔し涙をこぼしていたよ。

佐藤 普通の選手なら、誰だって試合に出たいから、一軍のコーチに言われたら従いますよ。それを18~19歳の子が自分の打ち方を貫いた。しかも、イチローが二軍に落とされた日に「ニコニコして、『はい』と言っておけばいいのに」と声をかけると、「いいんです、僕はこれで」と返してきた。たいしたヤツだな、と思いました。

 

初めて「他人のため」に

岩本 それが、'94年から仰木(彬)監督が指揮を執ることになって、パンチさんと一緒に登録名を変えて「パンチとイチロー」で売り出されるわけですね。

河村 仰木さんはイチローの振り子打法に惚れ込んで、そのまま使ったんだよね。案の定、凄まじい勢いで打った。

佐藤 仰木さんは策士ですから。'93年シーズンオフのウィンターリーグの段階でイチローのバッティングを見て、「これはスターになる」と確信したそうです。「鈴木」という選手は多かったから、目立たせるために「イチロー」に変えさせた。

改名にも逸話があります。ある日、「お前が登録名を『パンチ佐藤』に変えれば、『イチロー』に変えていいと言ってる」って言われたんです。でも、イチローには「お前が『イチロー』に変えれば、佐藤も変えると言ってる」と、逆のことを伝えていた。心理戦で改名させて、スターを作り上げた(笑)。

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