天才が生涯でいちばん輝いた年…「1995年のイチロー」は凄すぎた

河村健一郎×パンチ佐藤×岩本勉
週刊現代 プロフィール

悔し涙をこぼした1年目

佐藤 '95年は、ホームランも前年の13本から25本に倍増しています。3本差のリーグ3位で、三冠王も狙えた。

岩本 この年のイチローは、左方向の打球が強くなったのを感じました。グッと踏み込んで、我慢してからでもレフト方向にガチンとライナーを打つ。バッティング練習ではパワーのある外国人選手よりもスタンド中段、上段に飛ばしていた。ホームランだけ狙えば余裕で30本は打てた。

河村 実は、二軍にいた時から、細い体でかなりの飛距離を出していた。でも、力んで飛ばそうとしていたから、一軍の球は打てなかったんです。体ができてきた'95年ごろには、無理をしなくてもホームランを打てるだけの技術が身についたのかもしれない。

河村健一郎(かわむら・けんいちろう)/'48年山口県生まれ。捕手として阪急ブレーブスに所属し、引退後はオリックスの二軍打撃コーチを務める。二軍時代のイチローを指導。
 

佐藤 それでも、ホームラン1本よりもヒット4本を打ちたいタイプだから、記録を取りにいかなかったんですよね。

岩本 そう、試合ではミート打ちに切り替えるんです。自分は出塁しなければいけない選手だ、という自覚が強かったんでしょうね。

佐藤 状況に応じて必要なバッティングを選択できる。あの対応力は、代名詞だった「振り子打法」による部分も大きい。バットを球に合わせる技術は当時から完璧でした。

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