豊潤な自然の恵みを享受しながら人々が営んできた暮らしと、大切につくり継いできた道具と。秋田が生んだ暮らしの道具、その物語。今回は、秋田の山の恵みによってつくられる「あけび蔓細工」を取材。注文してから数年待ちともいわれる「あけび蔓」の籠をつくる職人にお話を伺いました。

「山からの恵み、山への感謝を
籠をとおして伝えたい」
あけび蔓細工

山の恵みを体現したあけび蔓の細工はもとは農家の副業だったという。生活環境と暮らしの必要性とに密接に関わる人々の知恵の道具。自然と人が結ばれた結果の賜物。

ひたすらつくり続けて

山に入っていなければ、ほとんど家で籠をつくっているという中川原さん。

どうしても編む作業が注目されがちになるけれど、じつはそれは工程のほんの一部にすぎない。あけび蔓の籠づくりの名手・中川原信一さんによれば「作業する前の下準備っていうのかな、山に入ってあけびの蔓を採るのが仕事の半分以上です」。

主には夏から雪が降るまでの間、それから春にも少しだけ、天気に恵まれれば毎日のように山に入る。鎌を右手に、中腰の姿勢のまますばやく歩きながら地面を這うあけびの蔓を見つけては採っていく。左手に80本ほどたまり、持ちきれなくなると8の字の束にして背中に背負う。そしてまた、手に80本ためて……を繰り返す。

籠の材料に適しているのはミツバアケビという種類。

採りたてのやわらかいうちに丹念に根や葉を取り除いたら、天日干しを1週間以上、陰干しを2カ月以上して、よく乾燥させる。さあ、これでやっと編むための準備が整った。あとは、編む前にひと晩水に浸けて再びやわらかくするだけ。加工の類いは何もない。道具は、先の鎌のほかには、編む作業で使う物差し、はさみ、キリ、プライヤーと、中川原さんの体のみだ。

地域によっては材料の調達と編む作業とを分業するケースもあるが、中川原さんはその始まりから終わりまで、すべてを自分で担う。やはりあけび蔓細工の職人だった父から継いでほしいと言われたことは一度もなかったが、そうすることがごく自然に思えて、中学校の卒業と同時に本格的に製作するようになった。以来、半世紀以上も変わらず続けてきたことだ。

山とともに生きてこそ

籠編みに使う道具はたったこれだけ。「材料もタダで、機械も使わない。必要なのは自分の体だけ」。

「難しい技術はなんにもないんです。ただ、やる気と根気があれば、誰にでもできますよ」

実際、企業秘密はないようで、請えば気前よく作業を見せてくれるし、どんな質問にも隠し立てせず寛容に答えてくれる。

「俺の籠は決まりきったことは何もなくて、型っていうのはいっさい使わないんです。自分の手の力と、蔓の太さで加減していく。編み目も数えたりしないけど、できてから数えるといつも同じ段数になっています。だいたいそういう形になる。自然にそういうふうになるんだべなあ。難しいことはさっぱりわからねえけど、人の体、感覚っていうのは、長くやってればたいしたもんだなあと思います」

手先だけでなく、全身を使って作業する。「だから俺、体はやわらかいの。固いのは頭だけだなあ(笑)」。

けれども、たびたびやってくる弟子の志願者は、申し訳ないけれどすべて断っているという。父が勧めなかったのと同じ理由で、重労働のわりに実入りが少ないということもあるし、なんといっても編む作業以外の工程が重要かつ困難だからだ。生まれたときから山とともに生きてきた中川原さんだからこそ、山のご機嫌を窺いながら、その恵みをいただいてくることができるのだ。

5年待ちとも10年待ちともいわれる中川原さんの籠。そこまでの人気の理由はきっと、籠の向こうに中川原さんの誠実な人柄や真剣な想いが透けて見えるからだろう。

「俺のつくった籠っていうよりは、見えない部分っていうのかな、山への恩や感謝、そういうことを知ってもらいたいと思ってるんです」

仕事と暮らしが一体になっている。すべてがないまぜで、まるごとが生きることそのもの。それを象徴しているような籠を見せてもらった。いまも毎日のように使われて、その分だけ美しく艶めいているその籠は、結婚した46年前、中川原さんが妻の惠美子さんに贈ったもの。このかけがえのなさこそ、宝と呼ぶにふさわしい。

中川原信一
1949年秋田県生まれ。手がけるあけび蔓籠は数年待ちともいわれる人気で、その実直な仕事を追いかけた『中川原信一のあけび籠』(文藝春秋)が2019年3月に出版された。本の著者でもある堀惠栄子氏の〈gallery KEIAN〉などで不定期に個展を開催。

   

●情報は、FRaU2019年11月号発売時点のものです。
Photo:Manami Takahashi Text:Mick Nomura(photopicnic) Edit:Yuka Uchida