40年前、吉田拓郎と井上陽水に人生を変えられた若者たちの証言

江口寿史、中村雅俊、京本政樹…
週刊現代 プロフィール

一緒に泣いてくれた陽水

まさにカリスマを地でいく拓郎だが、もちろん、一方の陽水も負けてはいない。

福岡の歯科医のもとに生まれた陽水は、父と同じ道を志し、'67年に九州歯科大学を受験するも失敗。二浪の果てに歯科医の道を諦め、音楽へとのめり込んでいく。そのときの強烈な挫折感が、数々の名曲を作り出す原動力になった。

音楽評論家の田家秀樹氏は、こう指摘する。

「陽水さんの曲には、心に傷を持った人たちに寄り添うような優しさがあります。当時、学生運動の傷をカラッと吹き飛ばしてくれるのが拓郎さんだったとすれば、一緒に涙を流してくれるのが陽水さん、というイメージでした。

陽水さんは'73年にライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』を発表していますが、そのころのライブに行くと、観客がさめざめと泣いているんです。学生運動に挫折して、傷心のまま東京を離れていく。そんな人たちが心の拠り所にしていたのが、陽水さんの曲だったのでしょう」

前出の江口寿史さんも'70年代、千葉・松戸で行われた陽水のライブに足を運んでいる。そこで陽水の圧倒的な声量と歌唱力を目の当たりにした。そのときの感動を、「まるで時間が経つのを忘れてしまう体験でした。この瞬間がいつまでも続いてほしい、終わってほしくない。本気でそう思うようなライブでした」と振り返る。

そんな陽水の作り出す曲に魅せられ、人生まで変えられたという人がいる。俳優の京本政樹さん(60歳)だ。

「僕が中学3年だった'73年、陽水さんが100万枚を超えるセールスを記録した大ヒットアルバム『氷の世界』を発表したんです。そのレコードを買った友人が、『このアルバムは名盤だから、絶対に聴いたほうがいい』と勧めてくれました。

いざレコードを回すと、もう、その瞬間に引き込まれて。あぁ、僕が求めていた音楽はこれだったんだと。言葉にできないようなカタルシスを覚えたんです。

特に心に突き刺さったのが、忌野清志郎さんとの合作、『帰れない二人』です。陽水さんの作る曲のメロディラインって、すごく洗練されているんだけど、どこか歌謡曲のような大衆的なテイストも入っているんですよね。そこがとにかく好きだったんです」

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