40年前、吉田拓郎と井上陽水に人生を変えられた若者たちの証言

江口寿史、中村雅俊、京本政樹…
週刊現代 プロフィール

すっかり拓郎の虜になった中村さんは、新曲が発売されるたびにレコード屋へと走った。その中でも、'71年に出された『人間なんて』で、命を削るようにサビのリフレインを叫ぶ拓郎の迫力に、圧倒されたという。

「拓郎さんはパイオニアなんです。あの人の真似なんか絶対にできないし、同じことをやろうとは思いません。ただ、何かを始める、新しい世界に飛び込むためのきっかけやエネルギーはいつも拓郎さんからもらいました。

 

歌や詞は当たり前ですが、拓郎さんのキャラクターも魅力なんですよね。あの人は、ストレートに『俺についてこい!』というタイプではない。どこか控え目なんだけど、前に向かおうという強い気持ちを態度で示してくれる。

芸能界に入ってから拓郎さんと知り合う機会を得て、いまではお酒を一緒に飲むこともあるんです。いつも真摯に音楽と向き合う生き方は、ずっと憧れです」

明るく元気をくれた拓郎

自分で作詞作曲をし、ツアーで全国を回る。さらには'75年、7万人の観客を動員した伝説の「つま恋コンサート」のような大型の野外イベントも企画する。拓郎は現在にも繋がるミュージシャンのあり方を、たったひとりですべて作り上げてしまった。

そして、当時は斬新だった襟足を長く伸ばした髪型にチェックのTシャツ、裾の広いベルボトムのジーンズ。そのファッションも特徴的で、当時、いたるところで拓郎の出で立ちを真似する若者が続出した。

さらに若い世代にウケたのが、拓郎の「喋り」だ。拓郎は「パックインミュージック」('72年)に「オールナイトニッポン」('74年)、「セイ! ヤング」('78年)など、人気ラジオ番組のパーソナリティを次々と歴任。その軽快な話しぶりを毎週楽しみにしていた人も多いだろう。コラムニストの、えのきどいちろう氏(60歳)も、拓郎の喋りに夢中になった。

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「あれは僕が中学生のころでした。ラジカセを親に買ってもらい、毎日のようにラジオを聴いていたんです。そんな中、拓郎さんがパーソナリティを務める『バイタリス・フォークビレッジ』('72年)に出会った。歯切れよく当時のヒット曲を紹介していく拓郎さんの話しぶりに引き込まれていったんです。

それ以来、拓郎さんが出演するありとあらゆるラジオ番組をチェックするようになった。カセットにダビングして、くり返し聴くんです。あのころは、拓郎さんの話し方まで真似ていました」

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