田中美津という女性をご存知だろうか。1970年代のウーマン・リブを牽引した伝説の女性であり、上野千鶴子さんをして「フェミニズムの原点……時代をあらわす固有名詞」と言わしめた人だ。映像作家の吉峯美和さんは、その田中美津さんに4年間密着したドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』を完成させた。

映画は10月26日より公開。田中美津さんを取材して吉峯さん自身も気がついた、多くの人が抱える「蓋をしていた思い」について吉峯さんに綴ってもらう。田中美津さんがなぜこれだけエネルギッシュに活動し続けることができるのか、その理由がここにはある。

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ウーマン・リブのカリスマと言われた70年代の田中美津さん 映画『この星は私の星じゃない』公式HPより 撮影/松本路子

今も消えない5歳のときの痛み、
「この星は、私の星じゃない」という疎外感

1970年代、日本の女性たちに大きな影響を与え、社会現象にまでなったウーマン・リブ運動。その伝説的なリーダーだった田中美津さんの原点は、5歳の時の出来事だと言う。

「ガラガラっと世界が壊れた……といっても、果たして五歳児は世界と言えるものを持っていたのだろうか……この頃になって思うのね。あの時壊れたのは『未だ持ち得なかった世界』だったのではないか、と」(岩波書店刊『この星は、私の星じゃない』あとがきより)

このドキュメンタリー映画の撮影で、美津さんが生まれ育った本郷界隈を訪ねたのは2016年3月だった。子どもの頃からの遊び場だった寺の境内を歩いている時、その告白は始まった。当時、実家が営む魚屋で働いていた従業員から性被害を受け、よくかわいがってくれた相手だったために、幼い美津さんはそれを新しい遊びと思ってしまった。しかし、その秘め事を母に打ち明けたら驚愕され、男とその父親も呼び出して厳しく叱りつけて、あとは何事もなかったような日常に戻ったと言う。

美津さん自身は少しも責められなかったにも関わらず、そのことは深い傷を残す。

「お母さんがあんなに怒ることを楽しいと感じてしまったなんて……私は汚れた子なんだ、邪悪な存在なんだ。他の女の子たちはまだ正札さえ付けていないのに、私だけがディスカウント台にのぼっているような気分……なぜ私の頭にだけ石が落ちてきたのか? ここは私の星じゃないから、私は守られていない、大事にされてないんだ……

映画のタイトルになった美津さんの言葉は、この煩悶から生まれている。

今年3月に相次いだ性暴力に関する裁判の無罪判決をきっかけに、4月11日に抗議の集会が始まった。以降、毎月11日に各地で行われているフラワーデモ。性暴力の被害者たちの声を聞いていると、美津さんと同じようなトラウマを抱えてしまったことが伝わってくる。だいたいが記憶にフタをしてしまい、自分が被害を受けていたこと自体に気づく(受け入れる)のに時間がかかる。気づいたとしても、自分が悪かったからだ、自分はそうされてもしかたがない人間だと責め続ける。

何年も経ってからフラッシュバックが起こり、摂食障害や自傷行為などに苦しむ。加害者は多くが近しい人で、平然と社会生活を続けていたりする。たとえ加害者が罰せられたとしても、心の傷は癒されないかも知れない。だって76歳になった田中美津でさえ、いまだに「この星は、私の星じゃない」と思い続けているのだから。

ドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』より (C)パンドラ+BEARSVILLE