「死なない病気」だとわかって、
大喜びした両親

伊是名夏子さんは、今も家族がお互いを大切にする風土が残る沖縄で1982年に生まれた。誕生日は4月。それなのに、伊是名さんの名前は「夏子」。そこには、当時、伊是名さんの両親が抱いた必死な思いが込められていた。

伊是名さんは、誕生した時、両足の骨が骨折していて、頭の骨もほとんど作られていなかった。出産した病院の医師は病名がわからず、余命いくばくもないかもしれないと両親に告げ、両親は「せめて夏まで生きていて」という祈りの気持ちで愛しいわが子に夏子という名を贈った。その1ヵ月後、やっと骨の病気に詳しい専門医が来て、正しい病名は骨形成不全症であり、命に別状はないことを説明してくれた。伊是名さんは言う。

「だから『ああ、骨形成不全症でよかった』というのが、私を育てた両親の育児の始まりだったんです。そのためか、私は、両親が、自分たちが障害児の親であることを苦に感じている様子は見たことがありませんでした」

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赤ちゃんはおむつを変えるたびに骨折しそうで、実際に数えきれないほどの骨折と入院を繰り返したが、やがて、歩けないことをものともせず、いつもやりたいことが一杯のエネルギッシュで利発な少女に成長していった。伊是名さんの太陽のような明るさは生来のものだろうが、家族や地域の人々がはぐくんだものでもある。伊是名さんの家族は両親とも、また階下に住んでいた祖父母も教師で、地域の子どもたちを集めて、ラジオ体操や盆踊りを催すような人だった。

もちろん、悲しい思い出もある。幼稚園にも保育園にも、そして小・中学校の普通学級にも通うことを許されなかったのだ。

「地元の小学校の校長先生が家に来たんです。そして、私を一目見て、すぐに『無理です』と決めてしまいました。そして今でいう特別支援学校に行くことになりましたが、そこでは普通の授業を受ける子どもは私一人しかいなかったのです」

でも、伊是名家が大家族だったのは幸いだった。祖父母、叔父が日中遊んでくれた。父親も、伊是名さんの誕生を機に夜間学校に職場を変えていたので家にいてくれたし、母親は特別支援学校に異動した。

きょうだいも2人いてその友達も遊びに来たし、英語にピアノ、習字などの習いごとも家族・きょうだいや近所の人がサポートし、時には抱っこをしてもらって通った。英語教師の父のおかげもあり、中学時代には高松宮杯全日本中学校英語弁論大会の沖縄県代表に選ばれ堂々と全国第2位を獲得した。高校受験では歴史ある県立首里高校の受験に合格し、念願だったクラスメイトのいる学校生活を満喫したあと、東京に出て、早稲田大学に進学した。