前世紀型の市場が無限の価格破壊を生む

エコノミスト・浜矩子に聞く(後編)
浜 矩子はま・のりこ
同志社大学大学院教授。欧州経済、国際経済のマクロ分析を専門とするエコノミスト

 エコノミストの浜矩子は、「まともな価格」、「適正な価格」と繰り返し口にした。経済合理性を超えて、極端な競争による低価格品よりも、適正な価格でモノを買うべきなのか。そういうモラルを日本人は持つべきなのだろうか。

「いまのような価格破壊というのは結局のところ、自分で自分の首を絞めることになると思うんですよ。“情けは人のためならず”と言い換えてみれば、ここには完全なる経済合理性があるわけですね。

 1円でも安いものを求める経済行動が回りまわって自分の収入を低減させていくというのが、今の状況です。自分の職を守りたければ、極度な安物、値引き合戦に飛びつかないほうがいい」

五百円ジーンズを作る人が、そのジーンズを買えない現実

 それは一般消費者、国民としての立場からだけでなく、企業経営者から見ても必要な視点なのでしょうか。

「企業経営の観点から見たときにも、やはり成り立ちますね。たとえば、800円でジーンズを売ってる人がいるから自分たちは600円でいこうと。そうやって信じられないくらいの値段でジーンズを売り出すということをやっていけば、そのジーンズを600円で売ることができるような価格体系、コスト体系が必要になる。これはつまり、ものすごく人件費を抑えているということ。その600円ジーンズを可能にする人件費しか払ってもらっていない人は、600円のジーンズも買えない。だから、せっかく600円にしたのに、売り上げが伸びない。そうすると、今度は五百円にしないとだめだなと。さらに500円ジーンズを作る人は500円ジーンズはやはり買えない。で、どんどん下方スパイラルになって、経営が成り立たない」

 それは、ヘンリー・フォードが給与を大幅にあげる事で自社の労働者が車を買えるようにした、という故事の逆を示しているわけですか。

「結局、自分が作った製品を買ってくれる、要するに買うことのできる人たちがいなければ、いくら安く、いいものを作っても、経営は行き詰まるわけです。この過激な競争にみんなで突入することを強いられたのが、21世紀に入ってからの展開だったということじゃないか。

 グローバル時代の市場経済の在り方というものを、私たち自身がきちんと理解することが必要だといえるのではないでしょうか。ある種の自由競争が無限の価格破壊に陥ってしまうのは、20世紀型の市場を前提に考えているからだと思うんです。

 70年代、80年代は、経済の教科書の中にも、“物価と賃金の下方硬直性”という言葉が当たり前のように織り込まれていました。ところが、いまや下方硬直性でなくて、下方柔軟性ですよね。物価と賃金の無限なる下方柔軟性。まさに“ユニクロ栄えて国滅ぶ”に近い世界になっているわけで、そうした力学が働いているということを、やはり経営も、社会も、政策もわかっていない。いいことをやっているつもりが、自己破壊、相互破壊になる道を選択してしまうことになる」

 ヘンリー・フォードの場合、賃上げの裏付けになっていたのは大量生産を可能にするイノベーションだったわけだが、現在のいわば“価格破壊型市場競争”が新たなイノベーションによって進歩することは可能なのか。

「イノベーションさえも、いまはどちらかというと価格破壊的な効果をもたらすようになっている。電子産業の世界が典型的ですよね。イノベーションがものすごい価格下落をもたらすということでは。

 ベルトコンベアが初めて発明された時代の、イノベーションの持っていた爆発的な力というのは凄まじいものがありました。どわっといっぱい車ができる。みんなが車を持つと、みんなが遠くまで行ける。遠くまでショッピングに出かけられる。遠くまで金を稼ぎに行ける。地平線がどんどん広がっていく。そうすると、郊外に家が建つようになっていく。地平線はさらに遠くに追いやられていく。こうした世界が広がっていく形の時代には、イノベーションは大きな富をもたらす構図があったと思うんです。

 ところが、グローバル時代に入った1990年代以降は、違った。アメリカのニューエコノミー、IT革命とかいうふうに言われるイノベーションの世界は、まず半導体は値段が下がる。IT化されると、ネット上の取引が始まる。ものすごくコストが安くなるから値段も下がる。地球が狭くなってくるわけです。かつてのイノベーションは地球を大きくする、世界を広げるものだったけれど、いまのイノベーションは狭くなってしまう。飛行機に乗らなくても、リアルタイムですぐ話ができて、みんな飛行機に乗らなくなる。だから、需要の広がり方、そして経済活動が回ることに伴って発生する収益も、小さくなってしまうのです。もし人類が火星征服するようなイノベーションが出てくれば、話は別でしょう。火星の上で家もいっぱい造らなくちゃいけないし、道路も造らなくちゃいけない。だから、ものすごい需要が爆発的に増えるかもしれない。かつてのフォードのような、イノベーションが経済活動を広げる効果というのは、もはやそういうところまで行かないと出てこないんじゃないか、と感じますね」

 文藝春秋(2009年10月号)の論文(『ユニクロ栄えて国滅ぶ』)の最後に、メガバンクは潰してはいけないというタブーも踏み越えるべき、と提議されていました。

「大きい金融機関が潰れたとしても、金が普通に回っていればいいわけです。いままでの流れというのは、小さい金融機関を潰す、あるいは大きなものに吸収してしまうというかたちで、金融再編なるものが進み、メガバンク化という方向で走ってきた。そのメガバンクたちが総じて金あまり状態の中で、収益をあげなくちゃいけないから、さまざまな金融イノベーションに走り、挙げ句、リーマン・ショックに至った。

 そういう脈絡で考えれば、大きい金融機関、あるいは大きすぎる金融機関が存在するということは、つまり、ろくな結果を生まないということですよね。むしろ適正規模の、適正機能の金融機関たちによって構成される、それこそグローバル時代というものにふさわしい金融システムをめざすというのが基本的な発想であるべきではないか。元の姿を一刻も早く再構築しようという方向では、何のためにわれわれは恐慌という名の鉄槌を受けたのかわからない。むしろ、『小さすぎてつぶせない』という発想のほうが大事なのかもしれません。これまでの価値観も一度ひっくり返してみる、ということが必要なのではないでしょうか」

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