豊潤な自然の恵みを享受しながら人々が営んできた暮らしと、大切につくり継いできた道具と。秋田が生んだ暮らしの道具、その物語。深みのあるブルーが印象的な秋田の工芸品「白岩焼」は、一度窯元が全て消滅してしまい、約70年後に復活。現在唯一の白岩焼の窯元である秋田県仙北市角館町の「和兵衛窯」を訪ねました。

「秋田の土と米が由来のノーザン・ブルー」
白岩焼

白岩焼は、秋田のブルー。秋田の土と、秋田の米から生まれる色。白岩焼は、孤高のブルー。白岩焼を現代に甦らせた和兵衛窯だけから生まれる、唯一無二の焼き物。

自然に湧き上がった使命感

葵さんがろくろをひく窓辺の向こうには、白岩焼に欠かせないあきたこまちが穫れる田んぼが広がっている。

工房にお邪魔して、そのあまりに整頓された様子に驚いてしまった。製作工房といえば、さまざまな材料や道具、つくりかけの作品などが所狭しと散乱しているのが通例だからだ。「両親の教えで、掃除はいつも徹底するようにしています」と、渡邊葵さん。葵さんの両親は、この地に白岩焼を復活させた当人だ。

角館町の白岩地区はかつて、一大窯業地だった。江戸時代、白岩に良質な土が見つかったことにより白岩焼が誕生。最盛期には6つある窯元に5千人もの職人が携わっていたという。ところが明治になり、廃藩置県によって秋田藩の後ろ盾がなくなったり、地震に見舞われたりした影響で、すべての窯元が廃業、白岩焼は途絶えてしまった。

それから70年ほど経った1970年代、かつての窯元のひとつの子孫である葵さんの母と父とが復興を志し、「白岩焼和兵衛窯」として開窯。この後ほかにも白岩焼の窯元が数軒できはしたが、今日まで残っているのは和兵衛窯だけ。つまりいま、白岩焼はこの工房の親子3人の手から生み出されるのみなのだ。

そんな稀少な窯ながら、葵さんは当初、継ぐことはまったく考えていなかったそう。

のどかな風景のなかに、登り窯の収まった建物が。

「親から継いでほしいと言われたことも一度もありませんでした。このとおりの片づいた工房に子どもが入るなど許されなかったこともあり、作陶を身近に育ったわけでもありませんでしたから。でも、大学で美術史を専攻して、東北の仏像を研究している先生についていろいろ見てまわったとき、“誰か”が守らない限り、ものは残らない、ということを目の当たりにして」

その土地で、その土地の人の手から生み出されるものについての考察と、自分の血筋がにわかにつながる。その“誰か”とはほかでもない、自分のことではないかと気づかされてしまったのだ。

人々の生活に再び寄り添

ノーザン・ブルーをつくる海鼠釉。火が入る前は灰色でどろりとした質感をしている。

印象的なのは、なんといってもその色合い。淡い白藍 から深い青藍まで、ブルーがこんなにも豊かな表情を持っていることにあらためて嘆息する。

海鼠釉という全国的にある伝統的な釉薬を使いながらも、このブルーは白岩焼だけの独特な発色だ。工房の横、葵さんの母の実家の田んぼから穫れるあきたこまちの籾の灰を配合した釉薬と、白岩で採れる赤土の鉄分とが化学変化を起こすことで生まれる。つまり、葵さんが表現するところのこの“ノーザン・ブルー”とは、土着の土と米と人だけがつくり得る、正真正銘、秋田の色なのだ。

10年の歳月をかけて手づくりされた登り窯。窯詰めだけでも家族総出で2週間かかるそう。

「農家の方もそうですけれど、その土地のもので仕事ができるのは私には魅力です。うちは土も釉薬も自家製なうえ、手間のかかる窯を使うので、とても非効率な少量生産。でも、ゆっくり時間をかけることの価値がいまの時代、なおさら大事なことでもあるのではないでしょうか」

白岩焼の製法は記録に残されていなかったため、復興は和兵衛窯の長年にわたる試行錯誤の末に成し遂げられたもの。籾の灰を混ぜて白岩焼独自の色を再現することひとつとっても、両親のインスピレーションでトライして発見されたものだ。加えて葵さんは、東北では珍しい金やプラチナを焼きつける技法も取り入れて器やアクセサリーに仕立てるなど、独自性を追求している。和兵衛窯の白岩焼は、単なる懐古趣味ではない。人々の暮らしに時代を超越して寄り添い続けるには、古さと新しさ、どちらも必要なのだ。

白岩焼和兵衛窯
県内外にも取扱店舗はあるが、このギャラリーでは、和兵衛窯の作家3人の作品がまとめて鑑賞・購入できる。白岩焼のルーツを実感できる、田畑に囲まれた道中の景色も魅力的。
秋田県仙北市角館町白岩本町36-2
☎0187-54-4199
営業時間:9:00~17:00
定休日:不定