これまで研究者と共に春画を見る機会は多々あったが、自分たちの手を動かして浮世絵を作り上げている職人と一緒に眺めることはなかった。
林美一をはじめとした春画研究者たちは、春画には当時のトップレベルの彫・摺技法が施されていると説いてきた。金・銀・雲母などの顔料をふんだんに用いる豪華さ、1㎜の幅に3本の絡みあう陰毛を彫り込み、それを墨だまりを作ることなく摺りあげる技術の高さ。春画を見ずして錦絵の技法について語ることができない、と。
しかし、それは果たして職人の眼から見ても言えることなのか。これは長い間の疑問であったが、閲覧の当日、彼らが「袖の巻」をはじめとした春画の名品を目にして息を呑み、興奮気味に施された技法について議論を始める様子をみて、その事実を確信した。
なぜ人々は春画の魅力に抗えないのか?
職人の分析は経験則に基づいたものである。例えば、複雑な陰毛部分の彫・摺に関して、復刻プロジェクトのメンバーである春画研究者の早川聞多氏や私は1枚の板木で表現したものではなく、レイヤーをかけるように2枚、3枚の板木を用いたのだろうと想定していた。しかし、職人たちは「袖の巻」を一目見て「これは一版で彫っている」と断言した。摺の跡を見れば一目瞭然だという。
このように、職人は研究者には到底たどり着けない視点・経験から当時の技を再現することが可能である。「袖の巻」は全部で12図。彫師、摺師がタッグを組んで2020年までの完成を目指して各図に挑んでいるところである。そして、その様子の一端が「春画と日本人」に記録されている。


当然ながら映画を見たところで「本物を見る」という体験はできない。しかし、ある種の追体験は可能である。この映画に登場するのは春画の実物を目の前にして、その魅力に引き込まれた方々ばかり。
実を言えば、本映画の大墻監督もその1人である。本物の力に動かされた人々がどのように「タブー」を乗り越えようとしたのか。ぜひ本映画をご覧いただきたい。