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「春画と日本人」の監督が語る「見えないものに怯える日本社会」

芸術と公金はどうあるべきか?

「表現の不自由展」から見えてきた日本の課題

9月28日から劇場公開が始まった文化記録映画「春画と日本人」は、私が予想もしなかった形で注目されることになった。8月1日から始まったあいちトリエンナーレ2019の展示「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止になる問題がおきたからだ。

「春画と日本人」は絶賛公開中(c)大墻敦

監督である私の立場からすると「直接的な関係は無い」というのがストレートな回答になるのだが、では全く関係がないのかといえば、それは違うと思う。私の映画で描かれているテーマの1つ「見えないものに怯えている日本社会」とあいちトリエンナーレでの一連の出来事の底流には、日本社会における表現の自由のあり方、という重い課題が横たわっていると感じるからだ。

日本初の本格的春画展をスクリーンへ届ける

本作の内容について簡単に述べる。2015年秋、東京都文京区にある小さな私立博物館で開催された「永青文庫春画展」は、国内外から優れた版画や肉筆の春画120点あまりを集めた日本で初めての本格的な春画展だった。

春画は、性器を露骨に描写していることから、浮世絵の中でもキワモノ扱いされることも多く、かつては刑法175条における猥褻(わいせつ)物との扱いも受けていた。

メディアでも大きく取り上げられ展覧会の前評判は高かったものの、警察の対応も含めてどのような結果になるのかと思われていたが、21万人を集めるという空前絶後、展覧会史に残る大成功となった。しかし、その実現までに関係者や研究者たちの艱難辛苦があったことは意外に知られていない。

私は、主催者などからの許諾を得て、記者会見、内覧会、関係者や研究者へのインタビューを撮影した。映画では、永青文庫春画展の実現までの経緯を縦軸に、あわせて、江戸時代の人々の春画の楽しみ方、幕府による規制の始まり、明治以降の近代化により浮世絵の扱われ方が急変していく様、第二次世界大戦後も続いた春画を規制する動き、そして1991年に実現した無修正春画を出版した経緯などを描き、春画と日本人の関係を考察した。