お妃候補報道と「完全否定」

雅子さまは、殿下の特別な想いに気づいてはいなかったが、マスコミは「小和田雅子さん」を最有力のお妃候補としてマークし始めていた。

そして1987年12月。女性週刊誌が初めて雅子さまを「お妃候補」として大きく取り上げると、外交官として社会に出たばかりの23歳の女性は、一躍日本中の注目のマトとなってしまった。雅子さまにとってもご家族にとっても、青天の霹靂のような出来事だっただろう。

その頃、皇太子殿下の妃になることなど、雅子さまには全く現実味のない話だった。翌1988年には、父親の恒さんから中川氏を通じて、はっきりとおつきあいを固辞している。それでも、過熱するお妃報道と激しい取材攻勢は、いっこうに治まることはなかった。

希望に満ちて入省した外務省。仕事のことだけを考えていたいのに、どこにでもつきまとうマスコミ、容赦なく向けられるカメラのフラッシュ。雅子さまにとっては、迷惑を通り越して、恐怖でしかなかったはずだ。

-AD-

1988年7月、雅子さまは日本大使館外交官候補の海外研修生として、イギリスのオックスフォード大学大学院に留学することになった。

これでようやくマスコミから解放されると思ったのも束の間、日本のマスコミは、イギリスまで雅子さまを追いかけてきた。オックスフォード大学の構内まで取材陣が押し寄せてきた時、ついに我慢の限界を超え、雅子さまは勇気を振り絞ってテレビカメラの前に立ったのだった。

「私はこの件に関しましては、まったく関係ございません」
「とにかく、私はお妃候補には関係していないと思っておりますので」

震えながらも、カメラに向かって毅然と言い放った言葉。それは、お妃候補報道に対する、雅子さまの「完全否定宣言」だった。