フェミニズムが暴く、オペラに隠された「 男性中心主義」の歌声

舞台上から響くのは「男の欲望」か…
許 光俊 プロフィール

また、ビエイトが演出した「蝶々夫人」(ベルリン)では、哀れな蝶々さんは、最後、自殺などしません。その代わりに周囲の人間を殺し、アメリカのパスポートを手に入れて高笑いするのです。男も女も関係なく、人間が本当に追い詰められたとき、どうす るのか。本当の悲惨とは何か。ビエイトはそうした問題を突きつけます。

「魔弾の射手」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「トゥーランドット」といった オペラでは、女は賞品のような存在です。競技に勝ったり、クイズに答えられた男が、女を手に入れるのです。そういう時代、そういう事実もかつて存在したかもしれません。

しかし、私はこれらのオペラを見るとき、まずそのグロテスクさに抵抗感を覚えます。「昔はそうだったから……」ではすまないと思います。

 

現代の視点からオペラを鑑賞するためには?

昔と現在をすり合わせることで、人間の本質が見えてくる上演のほうを私はより好みますし、高く評価します。原作に忠実、原作に寄り添うというのも大事なことですが、その原作とはいったいどんなものかを改めて考え直すことも大事なのです。

日本では、私が好むような上演はあまり人気がありません。原作のト書き通りのほうが喜ばれるのです。自分の頭を使って考えずにすみ、音楽や衣装や舞台装置を楽しめるからでしょう。

けれども、どうか、特に若い人だったらなおさら、自分の頭を使って、自分で考えて、この舞台が何を表そうとしているのか、なぜはるか昔のオペラを今上演する意味があるのか、そんなことを考えてほしいと思います。劇場とは、人々に娯楽を与えるだけでなく、過去と現在が出会い、それらについて考え、そして未来への展望が開ける場所でもあるのです。

ヨーロッパでは、女性の演出家も増えています。また、昨今は女性指揮者も増えています。そういう時代の中で、オペラははたして遺跡のようなままでよいのか。むしろどんどん新しい可能性に賭けていくべきでしょう。