川田利明さん告白「俺はベンツを3台、ラーメンのスープに溶かした…」
開店資金はいくらあっても足りない私財を店の運転資金に
赤字がどんどん積み重なり、資金繰りが苦しくなってくると、俺は私財を売り払って、それを店の運転資金に充当するようになった。

正直、蓄えはそんなにはなかった。プロレスファンなら知っているだろうけど、全日本プロレスのファイトマネーはそんなに高くなかった。
一方、ライバル団体の新日本プロレスは、スター選手になると結構な年収を手にする。さらにテレビ番組や映画などへの出演も多かったから、副収入も多かったようだ。Tシャツやタオルなんかのグッズのロイヤリティもちゃんとあったみたいだね。
その時は「ウチはウチ、ヨソはヨソ」とあまり気にしていなかったけれど、新日本の人気選手の生活を見ていると、「やっぱり格差は大きいな」と実感させられたし、俺のセカンドキャリアもちょっとは違っていたかもしれない。
「旨いものを出していれば客が来るとは限らない」という話は、そのままプロレスにも当てはまるだろう。
俺たちはお客さんに満足してもらうために、全力で闘っていても、地方に行くと会場はガラガラということは少なくなかった。
ただ、そこで「これしかお客さんがいないんだから……」と手を抜いた試合をしてしまったら、次にこの会場で試合をする時には、もっとお客さんが少なくなってしまうかもしれない。だから俺は若手の頃から常にベストを尽くして闘った。
それが定着して、どこに行ってもお客さんがいっぱい入るようになったのは、日本を何周も巡業してから。超世代軍から四天王プロレスの時代は、どこに行ってもたくさんのお客さんが来てくれたよ。
でも『全日本プロレス中継』の放送時間が深夜になってからは、ジワジワと地方からお客さんが減っていった。
ただ、その時の俺は全日本プロレスの所属選手。馬場さんが社長だった時代は、どんなに観客動員が厳しくても、ファイトマネーの減額や遅延はまったくなかったので、そこまでシビアには考えなかったが、自分で店を持つと、お客さんが減る=即座に資金繰りが苦しくなってしまうので、悠長に構えてなんていられない。