こういう上からの立場で話をすると(京都人の悪いところです)、滋賀の人はだいたい、ほったら琵琶湖の水を止めたるぞ、と言うてくる。幸いにしてまだ止められたことはない。
滋賀では「大阪言葉」が怖がられる
『スカーレット』は、舞台が滋賀ならではの味わいがある。
始まった当初の少女時代は、昭和20年代の滋賀らしい暢気さが横溢としていた。
滋賀の言葉は、かなり京都の言葉に近い。大阪とは違う。
もうずいぶん昔になるが、知り合いに聞いた話に、大阪言葉は滋賀ではずいぶん怖がられたという話があった。その子は大阪で育って小学校の途中で滋賀に転校したのだが、学校でふつうに大阪弁で喋っていたら、怖い、と言われてクラスメイトに泣き出されてしまった、というのである。昭和40年代の話だ。
滋賀ののんびりした子たちにとって、大阪弁でまくしたてられると、怒られているか脅されているような気分になったんだろう。大阪と滋賀の距離が感じられる話だとおもうが、しかし、滋賀の子も泣くことはないのに、とおもわなくもない。そういう、のんびりした気分がまた、滋賀らしさである。
朝ドラ『スカーレット』は、そういう滋賀の「ほっとする気分」に支えられて、ずいぶんと楽しいとおもう。
滋賀は古来、京都に隣接するエリアとして重要な地点であった。
平安京以前からも重要な位置だった。7世紀に、天智天皇が近江の大津に都を定めていた。これは海外との緊張関係が続いてるなか(唐や新羅が攻めてくるんではないかと恐れていた)交通の要路にあたる近江の大津に遷ったのではないか、と言われている。
古代や中世という大昔、琵琶湖は交通の要路だったのだ。
船が強力な交通手段だった時代である。船がもっとも早く、大量に物や人を運べる機関だった。だから内陸部なのに「縦にやたらと長い」湖がある滋賀はとても便利なエリアだったのだ。中大兄皇子や織田信長はそういうところを重要視して、日本の中心地に据えたのだとおもう。