史上最も劇的な日本シリーズを制した西鉄はなぜあれほど強かったのか

大エースが語った野武士軍団の真実
現代ビジネス編集部

メジャーリーグまで繋がった三原の個性重視主義

西鉄の若き個性派集団をのびのび育てた三原監督も、決して放任主義だったわけではない。

 

「監督は、自己管理ができん奴には厳しかったですね。

ある選手が酒の匂いをぷんぷんさせたまま練習に出てきた。監督は烈火の如く怒って、『酒の抜けないまま練習に出てくるとはなにごとだ! 帰れ!』と怒鳴った。それでその選手が宿舎に帰ろうとすると、『オレが帰れと言ったのは、田舎に帰れという意味だ』と。その選手は、そのまま首になっちゃいました。

だから、私がよく二日酔いのまま完封したなんて書かれた記事がありますが、そんな芸当は絶対無理。朝まで飲んで帰っても、必ず走って酒を抜いてから寝てましたね。

ただ、こんな面白いこともありました。ある先輩が酒が抜けないまま試合に来たことがあった。先輩は、監督を話すとき、酒の臭いに気づかれないように、監督の風下に立っていた。監督も薄々気づいていたようで、さりげなく風下に回ろうとする。先輩も絶対気づかれたくないから、そのまた風下に回ろうとする。そうこうしているうちに、2人ともレフトスタンドの方に行っちゃった。見ている方は面白かったけど、先輩は必死だったね」

昭和33年の日本シリーズ。試合前に巨人・水原監督と握手する西鉄・三原監督(左)
同日本シリーズで優勝を決め、胴上げされる三原監督

日本のプロ野球選手第1号で、メジャーリーグの野球を理想としていた三原監督は、選手にプロフェッショナルであることを求め、個性的であることを是とした。球界の盟主を自認した巨人が、勝利至上主義で紳士たれと選手に求めたのとは対照的だった。

西鉄という球団は消えたが(現西武ライオンズ)、この個性重視主義は、三原監督の薫陶を得た仰木彬氏に受け継がれる。彼が率いた近鉄やオリックスで独特の個性をすくすくと伸ばした、トルネード投法の野茂英雄、振り子打法のイチローが、メジャーリーグで大輪の花を咲かせることとなった。

※この記事は、「ヤングマガジン2003年5月10日増刊 スポ増No.2」掲載したコラム「稲尾和久が語る野武士集団西鉄ライオンズの真実」に加筆、修正したものです。