西鉄ライオンズの投打の要・稲尾和久(左)と中西太

史上最も劇的な日本シリーズを制した西鉄はなぜあれほど強かったのか

大エースが語った野武士軍団の真実

昨日から開幕した2019年のプロ野球日本シリーズ。3年連続の出場となる福岡ソフトバンクホークスは、この10年で日本一が5回。今回の対戦相手である読売ジャイアンツに代わって、球界の盟主となりつつある。

なんでもかんでも東京一極集中の世の中にあって、12球団中最も東京から遠い福岡から覇を唱えるホークスの存在はなんとも頼もしい限りだが、今から61年前、同じ福岡を本拠地とし、日本シリーズで3年連続ジャイアンツを下して、今のホークス以上に日本中を熱狂させたチームがあった。

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超個性派揃いの野武士軍団

2019年の日本シリーズは、読売ジャイアンツ(以下巨人)と福岡ソフトバンクホークスが対戦するが、巨人を率いる原辰徳監督が生まれた昭和33(1958)年の日本シリーズは、奇しくも今年と同じ、東京対福岡の対決だった。

セ・リーグのチャンピオンが巨人。パ・リーグは、当時、福岡をフランチャイズにしていた西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)。3年連続となったこの対決は、球史に残る激闘となった。

この年デビューした「ゴールデンルーキー」長嶋茂雄が4番を務める巨人が出だしから3連勝。土俵際まで追いつめられた西鉄だったが、そこからエース稲尾和久の獅子奮迅の活躍で4連勝、日本一の栄冠を掴んだ。4連勝すべての勝利投手となった稲尾は、「神様、仏様、稲尾様」と讃えられた。

 

今でこそ、プロ野球のフランチャイズは北海道、東北まで広がっているが、61年前は、首都圏、関西圏に集中し、日本シリーズを制するのは、ほぼ巨人か関西のチームに限られていた。そんななかで、首都東京から最も遠い九州福岡にありながら、昭和31(1956)年から3年連続で日本一を達成した西鉄ライオンズとはどんなチームだったのか。

当時、レギュラーがほぼ20代前半の高卒選手で固めていた西鉄ライオンズは、やんちゃでパワフル。野武士軍団と呼ばれ、他球団から恐れられていた。智将・三原脩監督にのびのび育てられたやんちゃ坊主たちは超個性派揃いだった。

絶対的なエースとしてその中心にいた故・稲尾和久さんが、彼らの凄まじくも面白すぎるエピソードを振り返ってくれた(インタビューは2003年)。

昭和33年の日本シリーズで最優秀選手賞を獲得した稲尾さん

大分県立別府緑丘高校から西鉄に入団した稲尾さんは、1年めから21勝を挙げ、防御率1.06で最優秀防御率と新人王を獲得。1961年には年間最多勝のプロ野球記録である42勝を上げるなど、わずか7年で200勝を超えた(通算276勝137敗)大投手だが、野武士軍団の先輩たちは、敵チーム以上に厳しかったという。

「入団当時、私は直球しか投げられなかったんですよ。それで、先輩投手にカーブの投げ方を教えてもらおうと頼みにいったら、先輩は黙って親指と人差し指で丸を作った。きょとんとしていると、先輩は不機嫌な顔で『なんぼ出す?』と。教えてほしかったら、金を出せというわけです。

必死で覚えた技術を、チーム内のライバルに簡単に教えるようなムードはなかったですね」