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岸政彦「他者理解には、必ず『暴力性』が含まれている」

『図書室』刊行記念インタビュー(後編)
岸政彦さんへの『図書室』刊行記念インタビュー(前編はこちら)。後編では、大阪や沖縄が好きな理由、「体張って生きてる人が偉い」という信仰、他者理解をめぐる困難について──。

──岸先生のエッセイにも、小説にも、社会学者として収集しておられる「匿名の個人の生活史」への眼差しが多く反映されているように感じます。個人の生活史にご興味を持ち始めたのはいつからですか?

岸:もともと『ROCKIN'ON JAPAN』って雑誌、あるじゃないですか、あの副編集長が昔出してた『ポンプ』っていう、薄い、最初から最後まで読者投稿欄だけの雑誌があったんですよ。そこに長文からハガキの小ネタまで、なんでも載ってたんですよね。写真やイラストとかも。匿名の人たちの、なんでもない文章やメッセージがたくさん載ってて、それを読むのが好きだったんだよね。他にもスタッズ・ターケルっていう、オーラルヒストリーだけを並べて分厚い本を書くアメリカの作家がいて、中学生や高校生のときにそういうのを読みながら、こんな本が書きたいなあ、とずっと思っていた。

ジャーナリズムにも興味があったけど、人見知りで引っ込み思案だから無理だと思ってて。大学入って、社会学者って調査をやるから、そういう「肩書き」というか「枠」があれば自分でもできるかもと思ってその道に進んだ。

で、96年からインターネットをやるようになって、HPを立ち上げて。稲葉振一郎から「ネットジャンキー」と言われるほど、ネットの世界にどっぷり浸ってました。だから、いまでも一般の人たちが書いたものが好きで。昔はたくさんあったんですよ、前略プロフとか魔法のiらんどとか……。そういう昔のブログの、地方の無名の人たちが書いてるような、「お腹減ったー」って書いたまま放置されてるみたいな、そういうのが良かったんですよね。いまも、有名な人が書いた記事とかより、学生が普通にTwitterで書いている、なんでもない投稿の方が愛おしいというか。

岸政彦さん

「ものすごく整ったもの」に対する反発

岸:街にしても、京都の祇園みたいな情緒があって統一された世界観のある場所より、いま住んでる大阪の住宅地みたいな、世俗的でチェーン店ばっかりの、整ってない土地が好きで。

──先生の小説やエッセイにも、街の描写が多く出て来ますよね。

岸:大阪から出たくないですね。なんでこんなに大阪が好きなんだろうって、それは多分、故郷じゃないからなんですね。東京と大阪の大学、両方受験で受かったんですけど、大阪に来た時にすごく面白く感じて。大阪って、当時すごくカッコよかったんですよ。ギラギラして、バブルで、派手で。自分で発見した自分だけの街という感じがして、すごく惹かれたんです。地元の進学校で、大阪に来るやつなんて自分だけだったし、なんだかすごく自分が解放された瞬間があって。

で、大阪に来て、色々しんどいことがあって、たまたま旅行で沖縄に行った時に、もう一度解放された感じがした。そのときから沖縄にはまっていって、そのあと研究テーマになって、それがライフワークになりました。

 

──『断片的なものの社会学』に書かれていた、初めて水着で海に入ったエピソードですね。

岸:そうです。解放の瞬間をもう一度経験して。だから沖縄もすごく好きで、今だにハマって通いつめてた頃の感覚から変わってなくて、生活の大きなところを占めるようになって。

冬の沖縄が好きなんですよ。仕事をわざと1日だけあけて、浦添や宜野湾の、ただの住宅地を散歩するんですよ。なんでこんなに好きなんだろうって。

でも、そういう沖縄に対する「ロマン」みたいなものも、結局は私自身の植民地主義的な眼差しなんですね。研究するうちにそういうことに気づいていって、何も書けなくなった。いまこの歳になっても必死で沖縄でしんどい聞き取り調査をしていますが、それは自分自身の植民地主義と向き合う作業だと思ってやってます。ただ、沖縄という場所が、とても美しい、素晴らしい場所であるという思いは変わりありません。

──解放されたという体感が、場所と紐づいている。

岸:そうですね、そういう認識があったんですね。大阪でも、好きなんだけど、東京とかの出張先から大阪帰ると、めっちゃイライラするんですけどね、歩きタバコむっちゃ多いし、声はでかいし、ほんま大阪人嫌いやわ、と思ったりするんですけどね(笑)。飾ってないところが好きなんですよ。バラバラの建物が、ぐちゃぐちゃに建ってて、世俗的な、統一されてない……。

──断片的ですね。

岸:人が暮らしてる感じがね。「ものすごく整ったもの」に対する反発、みたいなものがあるんでしょうね。きっと。