岸政彦さん

岸政彦「自分はまだ『小説』というものを『書いてない』」

『図書室』刊行記念インタビュー(前編)
社会学者・岸政彦さんの著書『図書室』──三島賞候補となった小説「図書室」と自伝エッセイ「給水塔」が収録されている。なぜ小説で女性を書いたのか? 男性には内面がないのか? 「図書室」の話から次回作の構想まで、岸さんが縦横に語る。

マジョリティには「自己」がない?

──6月に発売された『図書室』は三島賞候補にもなり、発売即重版とかなりの話題作となっています。

岸:今回の作品は、女性一人称で書く、というところでだいぶ悩みました。

最初に「男でも女でもなくて、一人の人間が団地で暮らしていて、窓から見下ろすと雨が降っていて」というシーンが浮かんで、そこから始まったんですよ。で、そこから書く時、あくまでも僕個人の感覚なんですけど、男性一人称で書こうとすると、どうしても個人の内面みたいなものが、なぜか書けなくて。

ビニール傘」の主人公には人格がないんですね。あれは「俺」って視点は定まっているんだけど、世界の方がどんどん変わっていく話。記憶ごと予告なしで変わるから、変わったことすら気づかなくて、タクシーの運転手をやっていたのが突然コンビニの店員になったりとか。寄る辺のなさ、というか、どこにも居場所がない感じを淡々と書いたんです。「自然に移り変わる世界の中で、ただ漂っているだけの存在」を書きたかったんだけど、後半で女の子の話になったときに、ピタッと一人に固定したんですよ。その子の生活史みたいなの。

で、その続きじゃないですけど、今回の図書室も自然に女性の話になったんですね。

 

──男性の視点だと、内面が描きづらい?

岸:「男性って内面ないんちゃうかな」って最近よく思うんですよ。

男性って言っても色々いると思うんですけど、女性と比べた上での話ね。基本的に、マジョリティの内面というのって書けないんじゃないかな、って。内面がないというと大げさですが、実は最初の僕の本『同化と他者化』で描いたのは、そういう話です。マジョリティには「自己」というものがないんじゃないかと。

まあ、もちろんこれまでの文学作品の中で、男性一人称できちんと内面や人格を描けている作品は死ぬほどあるので、一般的にできないという話ではなくて、個人的に、ですけど。

なんとなく僕にとっては、男性っていうのは、外界の刺激に反応してるだけの機械みたいな、イメージがあって(笑)

──そうなんですか……。

岸:極端な話。もちろん僕にも人格はあるし、男性の友達にも内面はあると思うけど、当たり前ですけど。それでもなんだか、自分でもよくわからないんですけど、書きづらかった。

で、女性一人称で書こうとなった時に、僕みたいな中高年のおっさんが、プロの作家でもないのに女性一人称で書くって事には、かなり躊躇があったんですね。自分の中では、その、女性らしさを作って書いた感じはしないんです、たまたま女性として書いたけど、そんなに自分と変わらない人間のつもり、そういう風にしか描けない。女性を書こうというより、人間を書こうというつもりではあったんですけど、女性としては「こんな女いない」みたいに思われるんじゃないか、とか、かなり心配はありました。