読売ジャイアンツが5年ぶりリーグ優勝を果たしたことで、今改めて松井秀喜氏に注目が集まっている。ファンや報道陣に対するフェアな姿勢や、社会貢献にも力を注いでいることから「人格者」としても有名である松井氏は、一体どのような幼少時代を送ってきたのだろうか。

幼少期から読売ジャイアンツに入団するまでの道のりが綴られた講談社文庫『ひでさん〈松井秀喜ができたわけ〉』より、小学1年生の頃に高学年ばかりのチームで入った少年野球で、当時の監督に「邪魔になるからやめてほしい」と言われたという悔しいエピソードを抜粋掲載したところ、多くの反響を呼んだ。17日のドラフトでは、後輩にあたる星稜高校の奥川恭伸選手が3球団から1位指名を受けたが、松井氏はどのようにして幼少期に野球の道に進み、そしてドラフト1位で巨人軍に入団したのだろうか。

講談社文庫『ひでさん〈松井秀喜ができたわけ〉』から特別に抜粋掲載しFRaU WEBでご紹介する短期集中連載。今回は父親や周りの大人との間に築かれた信頼関係の上に、松井氏が自ら「決断」したことをお伝えする。

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「決定権は子供にある」

秀喜が通っている浜小学校の校庭の前に根上町武道館がある。武道館では子供達が柔道を習っていた。その前の道は通学路になっていて、毎日そこを通っていた。

「お父さん、柔道やりたい」

秀喜が小学5年の4月を迎えた時、突然言い出した。秀喜は自分のやりたいことは自分で探してきた。父・昌雄は秀喜がやりたいと積極的になったものには、全て賛成し、興味を持ったことはどんどん応援した。子供から聞いてきたことには答え、情報を与えて選択肢をあげる。しかしそこまで。あとの決定権は子供にある。「親は子供の邪魔にならない」と一貫していた。

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根上少年柔道部の指導者は柔道五段の本田憲一。骨太のがっしりした体格で、本田接骨院の院長でもある。

心技体。本田は心身の鍛錬に力を入れた。
心は武道の場合、特に礼儀作法だ。まず道場に入るときの座礼。返事は「はい」「そうです」「いえ違います」「失礼します」に統一。そして柔道は個人競技と思いがちだが練習相手がいてこそ自分も強くなれる。そういう意味でチームワークの重要性も教えた。トイレのスリッパを直すこと、道場へ上がるときに靴を揃えることなどには特にうるさく言った。


柔道部の子供たちは殆どが小学校3年生から始めている。5年生で入部した秀喜は遅いくらいだが、本田が見たところ全く気後れした様子もなく、「素直で、のみこみが早い」というのが第一印象だった。そして運動神経の良さ、体が柔らかいこと、ばねのあることに関して、とにかく飛び抜けていた。

稽古は火曜日、木曜日、日曜日の週3回。火、木は強制ではなかったが秀喜は通った。学校から帰って夕食を済ませて道場に行くという秀喜の生活が始まった。

7月、能美郡の少年柔道大会小学校5年生の部で早くも優勝を飾った。得意の内股で決めた。構え、受身、技までを教えるのには最低3ヵ月はかかると思っていた本田は、すぐに実戦で力を発揮した秀喜に驚異を感じていた。本田は心の中で将来が楽しみだと思った。