10月25日 日本航空が営業開始(1951年)

科学 今日はこんな日

地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。

"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。

戦後、連合軍に禁止されていた航空事業が解禁され、戦後初の民間1番機、マーチン(グレン・L・マーティン・カンパニー:The Glenn L. Martin Company)社製の2-0-2A型機がこの日、羽田空港から飛び立ちました。

日本の民間航空は、1922年に創立された、日本初の航空会社「日本航空輸送研究所」によるものが始まりでした。同年11月15日、堺~高松~徳島を結ぶ、フロートつき水上機による定期航路の営業が開始されています。その後、数社の航空会社が設立されましたが、1938年に国策会社に改組された日本航空輸送株式会社に1本化されました。

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戦後、敗戦により連合軍総司令部(GHQ)により、国内のすべての航空事業が停止されましたが、1950年に日本の航空会社に対する運航禁止期間が解除されました。それを受けて、翌1951年に半官半民の「日本航空株式会社」が設立され、運航関係者や報道関係者を対象にした試験招待飛行の後に、10月25日の営業運航の開始を迎えました。

もっとも当時は、操縦士などのクルーを含めて機体ごと、アメリカのノースウエスト航空(Northwest Airlines Inc. )からのリースで、天体の名称を愛称にした5機の2-0-2A型機が活躍しました。

【写真】マーチン2-0-2
  マーチン・2-0-2A型(日本航空機と同型機) photo by gettyimages

運行区間は東京・羽田~大阪・伊丹~福岡・板付。東京~大阪間を1時間35分で飛び、運賃は6000円でした。

ところが1952年4月9日、2-0-2A型「もく星」号が伊豆大島に墜落。乗客乗員37名全員が死亡したこの事故を受け、2-0-2A型やDC-3型のリースは終了となります。その後は日本航空での自主運航となりました。

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