天皇が子ども時代に親しんだ『カミサマノオハナシ』のスゴイ中身

美智子さまが選んだ
高木 香織 プロフィール

『カミサマノオハナシ』は「赤橋幼稚園母の会」から出版され、のちに版元を大手の出版社である三省堂に移した。「子どもに向けて読みやすい『古事記』を」という当時としては斬新な企画で、終戦前で物資が不足し、満足に紙も出回らない時代に5万~6万部も売れたというから、異例のベストセラーになったといえる。

そして戦後、上皇后の美智子さまは、令和の天皇陛下である浩宮さまが幼い頃、日本の神話に親しんでもらおうとこの本の読み聞かせをされた

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この本が皇室の子ども部屋に置かれるまでに、どのような道のりを経たのかを知ると、「不思議なご縁」としか言いようのない、皇室を身近に感じる興味深いエピソードが浮かび上がってくるのだ。

ひとりの主婦が『古事記』に挑むまで

この本の著者である藤田ミツさんは、大阪の幼稚園経営者だった。

明治45年(1912年)に日本女子大学を卒業した藤田さんは、幼児教育に取り組みたいという夢を持っていた。しかしながら、卒業して1年後に結婚。家事と育児に追われ、仕事を持つことなどかなわなかった。

 

しかし、藤田さんは夢をあきらめなかった。結婚して17年たってから、貿易商を営む夫の応援を得て、現在の大阪市阿倍野区に「赤橋幼稚園」を設立し、若いころの夢をかなえたのである。ちなみにこの赤橋幼稚園、現在も開園当初と同じ場所で存続している。

開園した当初、大学で理系に進んだ藤田さんは、『シートン動物記』など自然科学に親しめる本を、内容をかみ砕いて、子どもたちに読み聞かせていた。そうしているうちに、幼い子どもたちの心に「これだけは知っておいてほしい」というものを植え付けたいという思いにかられるようになった。そんなとき、ふと目に着いたのが『古事記』だった。

しかし藤田さんは、国文学を専門的に学んだことはない。そこで、知人の国文学者である大阪府立大阪女子大学(現在の大阪府立大学)の平林治徳学長の指導を受けて、『古事記』をひもとき始めた。藤田さんは、このときの心境を週刊誌にこう語っている。

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