消えた栄光のドラフト1位「ただの人」になった金の卵たちの告白

グラウンドを去る人、もがき続ける人
週刊現代 プロフィール

突出した才能も…

エースと並ぶ野球の花形といえば、4番を打つ長距離砲だ。

「パワーヒッターでありながら、逆方向にも広角に打てる柔軟性を持ち合わせていた。名球会に入るようなバッターにも劣らない才能があったと思います。それだけに、もったいないというよりほかありません」

今季まで広島と巨人の打撃コーチを長年にわたって歴任し、前田智徳、金本知憲、阿部慎之助ら数え切れないほどの名打者を育て上げてきた球界屈指の名伯楽・内田順三氏が、こう打撃の才能を惜しむ選手がいる。

10月2日、広島から戦力外通告を受けた岩本貴裕(33歳)だ。

広島商業では1年生からエース兼4番を任され3年生の夏に甲子園へ出場。高校通算52本塁打の打棒を引っさげて亜細亜大学に進学すると、東都リーグでも主砲兼投手として、歴代4位となる通算16本塁打をはじめ、数々の記録を残した。

 

'08年のドラフトで、広島から1位指名を受け入団。与えられた背番号はかつて金本知憲が背負っていた「10」。将来の4番候補として岩本にかけられた期待は絶大だった。

「広島の1位は投手を獲ることが多い。しかも、自由枠や逆指名枠があった頃は、自前で育てる高校生を獲るというのが松田元オーナーの方針だった。

そんななかで、'91年の町田公二郎以来の大卒野手として岩本を指名したわけです。私も松田オーナーから直接『岩本を見てやってくれ』と言われていました」(内田氏)

オーナーの肝いりということもあり、岩本は1年目からファームのほぼ全試合に4番で起用された。最終的に、二軍ではリーグ2位となる14本塁打を記録している。

「二軍にいる選手の中では岩本の才能は明らかに突出していた。だから、なんとか上に行かせようと周囲も躍起になっていました」(内田氏)

翌'10年からは徐々に一軍での出場機会を与えられていく。しかし、打率は2割台中盤をうろつき、なかなかレギュラーとして定着することはできなかった。