消えた栄光のドラフト1位「ただの人」になった金の卵たちの告白

グラウンドを去る人、もがき続ける人
週刊現代 プロフィール

二ケタ勝利投手の転落

大石のように、戦力外を機に引退を決める選手もいれば、なおも現役続行にこだわり、もがき続ける選手もいる。

「一軍での登板がなかった今年だけでなく、去年もまったく結果が出せなかった。だから『来季は契約しない』と告げられた段階で、ある種の納得感がありました」

こう語るのは、ヤクルトを戦力外になった村中恭兵(31歳)だ。
'05年、村中は当時の高校生ドラフトでヤクルトから1位指名を受けた。

キレのあるストレートにフォーク、そして安定した制球力。東海大甲府高校時代は目立った実績こそないものの、プロで経験を積めば伸びる逸材として、12球団から希望調査票が届いていた。

 

背番号は「15」。岡林洋一らエース級が背負っていた番号だ。

大きな期待を受けての入団だったが、村中には特段の気負いはなかったという。

「小学生時代から、特に強いチームでやってきたわけでもなかったし、甲子園に行ったとはいえ、ベンチ要員で出場機会はなかった。だから、自分の実力はよくわかっていたんです。

特に僕が入団して以降、ヤクルトは増渕(竜義・'06年1位)、由規('07年1位・現楽天)みたいな高卒即戦力投手を次々獲得していきました。彼らの投げるボールを見ていると、『高校から活躍する投手はレベルが違うなぁ』という気持ちになってくる。

僕にできることは、せめて悔いが残らないように一年一年を一生懸命にやっていくことだけでした」

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コツコツと努力を重ねた村中は、入団3年目の'08年には6勝を挙げて頭角を現すと、'10年には11勝、'12年には10勝と2度の二ケタ勝利を達成。先発の一角として、いよいよ才能が開花するかに思われた。

しかし、'14年の4月、阪神戦の途中で中継ぎとして登板し、腰を痛めて登録を抹消されてから、村中の野球人生に暗雲が立ち込める。

「ケガをして1ヵ月くらいは歩くのもやっとの状況でした。7月にはなんとか一軍に復帰できたのですが、思ったように力が入らず、狙ったところにボールが投げられない。ある試合でアウトひとつ取れずに打ち込まれて、ふたたび二軍落ちを命じられました」