「カレー給食を中止」する学校文化に「欠けている論理」を考えてみた

プログラミング教育必修化は愚策に?
岡嶋 裕史 プロフィール

問題は解決しなければならないし、それに必要なのは気持ちや気合いではなく、論理的思考である。辻褄のあわない指示をしても動作してくれないコンピュータと付き合っておく経験は、子どもたちに貴重な示唆を与えるだろう。

IT化が進まない学校に、IT教育ができるのか

とはいうものの、現実にはプログラミング教育必修化がうまく導入されるまでには、いくつものハードルがごろごろ転がっている。

まず、子どもたちはそんなにプログラミングが好きではない。

この点に過剰な期待を持っている先生は多いのだが、目測を誤らない方がいい。もちろん、いまプログラミング教育の視察にいけば、子どもたちは目をきらきらさせて尋常でない集中力でプログラミングに取り組んでいるだろう。好きな子が集まっているからである。それですら、ゲーミフィケーションを多分に施した楽しめるコンテンツを消費するところだけが好きな子も多い。

プログラミング教育Photo by iStock
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でも、必修化となると、そんなに好きではない子にも、授業に参加してもらわなければならない。ゲームふうの導入コンテンツが使えればまだいいが、全部の学校で用意できるわけではないし、いつまでもゲームを模した導入教育をしていくわけにもいかない。

また、教えられる側より、教える側が詳しくなければならないのも当たり前だが、おしなべて情報リテラシが低い日本社会の中でも、学校は紙ベース、印鑑ベース、気合いベースのプロセスや文化が根強く根強く残り続けている組織の一つである。強大な牙城といってもいいだろう。私のところにも、出席者の平均年齢が高そうな会議だと、日程のお知らせがまだ郵送で来る。会議の案内のために、手紙である!

PTAは日本社会の変化を無視するように、平日の昼間に長時間親を物理的に拘束するのが大好きだし、オフィスの現場では年々見ることが少なくなってきたB4用紙に捺印を要求し、手渡しで持参させるのもまるで儀式であるかのように変更がきかない。何かのお知らせにメールを使っただけで、IT化の勝利のように喧伝することもある。

カレーを使ったいじめがあったから、給食からカレーをなくしましょうといった解決策を捻りだしてくるのも、ちっとも論理的ではない。そのカレーが直接いじめに利用されるのを防止する意味でも、カレーを目にした児童・生徒がPTSDになるのを防ぐ意味でも、である。解決策って、たぶんそういうことではない。

もしも本気で本当に、カレーを給食で出さないことが問題の解決になるとちらっとでも考えていたのであれば、残念ながらそれを提出した主体には論理的思考能力や問題解決能力がない。

そういう学校でも、論理的思考能力は教えていたと思うのだ。

アイスの消費量と溺死者数には相関がある、でもそれは暑いからアイスを食べる、暑いから泳ぎに行って溺れるのであって、キーになるのは暑さである。だから、アイスの量を減らしたからといって、溺れる人を減らす役には立たないよとかなんとか。

でも、カレーの解決策のくだりは、このあたりを見事にごちゃっとぐちゃっと一緒くたにしている。

このような風土の中で、問題解決能力や論理的思考能力を構築していくためのプログラミング教育を行うのは、実は至難なのだろうと思う。児童・生徒というよりも、まず学校のあり方を変えていかなければならない。

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