大ヒット問題作『ジョーカー』共感と酷評がまっぷたつのワケ

彼は分断の原因か、それとも結果か
御田寺 圭 プロフィール

共感と酷評──アーサーが象徴するもの

アーサーはまるで「鏡の男」だ。見る人の心情をそのまま映し出す。「生きづらさ」を感じない人であれば、彼はたんに不器用で運が悪く、そして才能がないがゆえに成功できなかっただけであるにもかかわらず、社会へとお門違いな逆恨みを抱えた人間のように見えるかもしれない。

だが、なんらかの「生きづらさ」を抱える人にとっては、アーサーの苦しみのどれかが、きっと心に突き刺さってしまう。まるで自分のことのように感じられる。ああ、アーサーは私のことだ。私がいつも感じている日常だ。彼を苦しめるものは、私にも身に覚えがあるし、しかもこの社会にありふれたものだ──と。事実として、アーサーの物語に我がことのように共感する人と、挑発的に犯罪を称揚する不道徳な映画だと酷評する人とで、評価は二分している。

 

 『ジョーカー』の物語に世界中から集まる共感は、現代の人間社会に「顧みられることのない生きづらさ」が音もなく拡大していることを示しているのだろう。

障害や難病を抱える人、あるいは人種的・性的マイノリティーといった社会的弱者を包摂する流れが大きくなっている一方で、アーサーに代表されるような弱者──すなわち「不気味な存在」「気持ち悪い存在」「仕事のできない人」「要領が悪い人」などを、私たちの社会は敬遠している。

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彼らは「キモい人」「迷惑な人」「無能な人」とレッテルされ、排除されている。世間から注目され、なおかつ広く同情を集めるタイプの「生きづらさ」があると同時に、世間から煙たがられ、冷ややかなまなざしを送られるタイプの「生きづらさ」がある。アーサーが象徴しているのは後者である。

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