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「責任をとる」こそがドラッカーが指摘する現代組織のリーダーの要件

日産、関電のどこが本当にダメなのか

古代は「武力」、現代は「責任」が権力の源泉

人類学・社会学(エルマン・サーヴィスの分類)的にいえば、社会の発展の歴史は、

1.小規模血縁集団
2.部族社会
3.首長制社会
4.国家

の4つのステージに分かれる。

 

1の小規模血縁集団は、家族や親類縁者と同等のものと思ってよい。せいぜい数十人規模の集団で、メンバーは基本的に家族として平等である。また、領主や国王のような特別な権力者というものも存在しない。リーダーシップを発揮する家長というものが存在するかもしれないが、家族は家来でも召使でもない。

2の部族社会は数百人規模の集団で、基本的に誰もが顔見知りである。例えば筆者が卒業した高校の1学年の在校生は400~500人ほどであったが、今の高校の人数はもっと少ないであろう。例えば200人とすれば、ほぼ全校生徒が顔見知りであり、部族社会的集団ともいえる。現代でいう官僚がまだ存在しないことが特徴だ。

3の首長制社会は、数千人規模に達し、組織も極めて複雑になり、首長を補佐する「官僚」が必然的に登場する。

この社会で最も特徴的なものは「再分配」である。今も我々の大多数を悩ませる「税金」が誕生し、その税金によって、外敵から社会を守る兵士や、官僚の給与などの国家の運営費用を賄うわけである。

もちろん、ごくわずかではあるが、一般の人々にも還元される。紀元前5500年頃までには、はっきりとした首長制社会が生まれたとされ、墓の副葬品の格差に如実に現れている。

4の国家については、あまり多くを語る必要が無いであろう。アフガニスタンやソマリアなどの紛争地域を除けば、現在の人類の大半は国家の統制の下で暮らしている。

このように書くと、いかにも人類が平和的に国家を成立させたように感じられるが、そうではない。

例えば日本の「天下統一」が行われたのは、血みどろの殺し合いをした戦国時代の結果である。

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また、「銃・病原菌・鉄」(参考:筆者書評)のベストセラーで有名な、ジャレド・ダイアモンドの著書「昨日までの世界」で詳しく述べられているように、牧歌的に描かれることが多い小規模血縁集団主体の社会では、食料などの必要なものを奪うために他の村を襲撃し、「村ごと皆殺し」が日常的に行われていた(人骨の考古学的証拠によれば、集団虐殺は少なくとも10000年以上前に行われている)。

そもそも、「銃・病原菌・鉄」という書名が、人類の文明が武力や感染症に生き残れるかどうかという「知性や教養」とは全く関係がない原因で勝った人々によって創られたものであることを如実に示している。

しかし、歴史的には、武力という非人道的な権力によって文明や国家が形成されてきたとしても、これからの社会も武力に支配されたままなのであろうか?

その疑問に対する1つの答えが、ピーター・F・ドラッカーが唱える「知識社会では責任が権力の源泉」になるという考え方である。