講談社が陸海軍から、圧倒的に「優遇」された「残念な理由」

大衆は神である(71)
魚住 昭 プロフィール

省一が隊長となった挺進隊の隊員はみな20~30代の若者ばかりである。当時、主婦之友社の社員だった池末政雄は挺進隊のメンバーに指名され、拠点となった神田小川町の誠文堂新光社に行った。以下は池末の回想である註2

 

〈指定された部屋に入ってゆくと、その中央に国民服を着た一人の青年が、悠然と机に腰をおろしていました。でっぷりとした堅肥りで、日本人離れのした精悍な顔におかすべからざる風格を備えているのです。

それに対して、若々しい行動力に満ちた二人の青年が、対談する形で机に腰かけ、話に夢中になっていました。

前者が隊長の野間省一氏であり、後者は副隊長格ともいうべき岩波雄二郎氏と小川誠一郎氏でした。講談社、岩波書店、誠文堂新光社の若き日のジュニアたちでありました。(中略)

戦いが苛烈となり企画も用紙事情も逼迫してきたころ、不急不要の本を出している出版社は整理されるべきだという意見が高まり、実行に移すことになりました。その役目が出版挺進隊にきたのです。私たち挺進隊員はそれぞれの任務をわり当てられて、その出版社に乗り込み廃業することを勧告しました。いかに決戦体制下とはいえ、これはなかなかつらい仕事だったことを覚えています〉

神がかり

大日本出版報国団の主な任務はもう一つあった。編集者や出版業者たちに「日本精神」を注入するための「錬成」を行うことである。

『改造』の編集長だった水島治男(みずしま・はるお)は同年11月、神奈川県藤沢市の鵠沼(くげぬま)で「錬成」と称して行われた禊(みそ)ぎの模様をこう記している註3

〈一週間、鵠沼の稲荷道場にこもって、はちまきに白地の着物(ゆかたで間にあわせたが)に袴姿で研修会をやった。朝、夕の食事の前には、ふんどし一つになって、六百メートルある海岸まで駆足で行くのである。砂地には四方に笹竹を立て、それにしめなわが張ってある。これがひもろぎといって神域になっているのである。

そこで祝詞を唱えながら何回かぐるぐる回る。それがすむと海にとびこんで、両手の指を組みあわせて上下にふりながら「スサノオ大神、ハライドノ大神」とくりかえし唱えながら、背が立つ深さまで行って全身を海水に浸すのである。十一月も末になった頃だから水はつめたいわけだが、岸から次第に深い方へ歩いて行くうちに、冷たい水と温かい水が幾筋にも縞のようになっているのを発見した。

山峡の滝にうたれるより楽かもしれない。かえってくるとすぐゴマ塩の熱いお湯をのむ。このうまさは何ともいえなかった。それから食事になる前に「とりふね」というお神楽式の踊りを祝詞を唱えながら舟を漕ぐ手つきでおどるので、まるで幼稚園の子供のように愉快になるのであった〉

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