伝説の皇室ジャーナリストは大物政治家の「かくし子」だった!

私が、父親へ「認知訴訟」を起こした理由

渡邉みどり氏は、皇室取材60年余という伝説の皇室ジャーナリスト。美智子さまと同級生で、上皇と美智子さまのご成婚も取材し、ご成婚前の雅子さまをロンドンで直撃もしている。渡邉みどり氏は今回、自らの半生をさらけ出す自叙伝を刊行した。 題名は、『かくし親 「日本一美智子さまを知る」皇室ジャーナリストは大物政治家の「かくし子」だった!』。渡邉氏は、日本テレビの報道局勤務当時に父親の大物政治家に認知訴訟を起こして、勝訴している。

後藤田正晴氏を紹介されて

「飯でも食わないか、みどりくん」
ある日、私のところに古屋の父から連絡がありました。

父古屋亨の当時の役職は、総理府総務副長官。父の役所である総理府に行き、一緒に食事に出かけようとすると、部屋に秘書官が入ってきました。
「警察の後輩の後藤田さんが、今度警察庁次長に昇進されるので、先輩にご挨拶にとお見えになりました」

古屋の父が、
「紹介してやろうか、警察の切れ者だよ」
「有名な方だから、ぜひ」

そこへ後藤田正晴さんがノックして入ってこられたのです。初めてお会いする後藤田さんは地味なグレーの背広を着た小柄な方で、眼鏡越しの眼光が鋭く、いかにも頭の回転が速そうな印象でした。

「後藤田君、紹介する。わしの『外の子ども』だよ」
一瞬、ぎくりとした後藤田さん。

私は、
「初めまして、日本テレビの渡邉でございます」
と報道局チーフプロデューサーの名刺を差し出しました。

本当に驚いた様子の後藤田さんは、自分の名刺を出すことすら忘れた様子で、まじまじと私の顔を見て、
「せ、せ、先輩にこんなお嬢さんがいらっしゃったのですか。それも先輩の大嫌いな報道関係のお仕事じゃないですか」

私は思わず、
「『かくし親』なんですよ」
と口をついて出たのです。なぜかみな、顔を見合わせて吹き出してしまいました。

何の心の用意もなく口をついて出たのが「わしの外の子ども」ならば、「かくし親」がいいのではないかと――。

「どうぞお二人でお食事をしていらして、私はちょっと用事を思い出したので」
と席を外して、局に戻りました。

渡邉氏(写真中央左)は、上皇と美智子さまのご成婚も取材
渡邉氏が取材した昭和34年のご成婚パレード

当時の私は日本テレビ報道制作部チーフプロデューサー。昔の内閣官僚だった古屋の父にとっては、男女平等なテレビの現場で働く女性は物珍しく、あまり理解できない存在であるようでした。

当時、父は養女を外交官と結婚させ、徳安、野田、臼井という三代の総理府総務長官を招待し、盛大な披露宴を挙げる一方で、外の子どもである私の存在の始末をどうつけるか、心の中は複雑だったろうと思います。私は父から認知されていなかったのです。

1989年(平成元年)、私は父である古屋亨に対して認知請求の調停申し立てを行いました。二人の間柄は、認知訴訟における原告・渡邉みどり(娘)と被告・古屋亨(父)となったのです。調停の間じゅう、古屋亨は私が子どもであると認知することを否定し続けました。

その6日前、帝京大学医学部法医学教室で、私と古屋の父は認知請求の鑑定に必要な検査を受けていました。その結果が、すべてを物語ることになるのです。