ドラフト4位の桧山進次郎を「暗黒時代」から救ったノムさんの言葉

「ドラヨン」が名選手になる理由(後編)
田崎 健太 プロフィール

新庄の「えげつない肩の強さ」

桧山自身も96年に2割分3厘という最低限の数字を残したが、97年、98年は2割2分台。

本塁打も23本、15本と主軸を打つには物足りない。目に付くのは三振の数である。96年から98年まで100を越えているのだ。バッティングが粗い上に、それを補う得点力もなかった。

桧山はこう振り返る。 

「体力はある。センスはまあまあある。でも何かが足りない。それは考えるということだったんでしょう」

しかし、桧山の進む道を指し示してくれる人間はいなかった。98年には安打を積み重ねる坪井智哉が右翼手に収まり、桧山は左翼手に追いやられた。

野村克也がタイガースの監督に就任したのは、そんなときだった。

野村の野球は細かいと聞いていた。これまでとやり方が全く変わるだろう。そうした教えを受けていなかった自分たちは苦労することになる、野村の野球に合う選手と合わない選手が出て来るはずだと桧山は朧気に考えていた。

 

特に心配していたのは新庄である。  

「ぼくは人見知りをしないので誰とも喋れるんですけれど、あいつは駄目と思ったら、全く話さなくなる。はっきりしている奴なんですよ」

92年に新庄が一軍起用されたのは三塁手だった。その後、遊撃手を経て中堅手となった。同じ外野手になり桧山は新庄の身体能力に舌を巻いた。

「後にも先にも見たことのなかった肩(の強さ)だったですね。えげつない肩です。今のプロ野球選手でも誰もいないです。イチローの肩が強いっていいますけど、肩だけだったら新庄の方が凄いですよ」

新庄は天才肌の選手にありがちではあるが、気まぐれな部分があった。そこで野村と衝突するのではないかと思っていたのだ。