ドラフト4位の桧山進次郎を「暗黒時代」から救ったノムさんの言葉

「ドラヨン」が名選手になる理由(後編)
田崎 健太 プロフィール

阪神の暗黒時代

一軍出場は思ったよりも早く訪れた。92年5月30日、甲子園球場でのジャイアンツ戦に6番、右翼手で先発起用されたのだ。

タイガースの監督、中村勝広は、岡田彰布、真弓明信といった85年の優勝時の選手から世代の入れ替えを意識していたのだろう、4月に亀山努、5月から新庄剛志という若手選手を抜擢していた。

全力疾走しヘッドスライディングで闘志を躯全体で表現する亀山、若竹のように伸びやかな新庄の二人が、チームを前に押し出していた。

「桧山も行けるやろって中村さんがそこに乗せてくれたんです」

 

ジャイアンツの先発は斎藤雅樹だった。ジャイアンツの先発ローテーションの三本柱は、斎藤、 槙原寛己、桑田真澄だった。

「ぼくにとっては(三人の中であれば)一番対応できるピッチャーだと思っていました」

しかし、第2打席の2塁ゴロで打点1を記録したものの、4打席に立って0安打。翌日、1安打を放ったものの、約2週間で二軍に降格した。このシーズン、タイガースは2位に躍進している。桧山はタイガースの若い波に乗ることはできなかった。

翌93年、94年は一軍出場がそれぞれ33、32試合しかない。一軍と二軍を行ったり来たりするエレベーターボーイだったと桧山は口の端を上げて笑った。

そんな桧山を救ったのは皮肉にも得意の打撃ではなく守備だった。

「(試合)終盤の守備要員です。石嶺(和彦)さんや外国人選手が下がった後に起用されるようになった」

強打の外野手である石嶺は94年シーズンにブルーウェーブからフリーエージェント制度を利用してタイガースに移籍していた。

桧山を先発起用したのは、96年から監督となった藤田平だった。桧山は主に5番を任され、 翌97年から監督を引き継いだ吉田義男の下では4番を打つようになった。 しかし、チームの成績は振るわなかった。92年の2位の後は93、94年と4位を保ったものの、その後は、95年から98年まで、5位を1度だけ挟み、全て最下位。暗黒時代である。