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「ドラフト4位」の桧山進次郎はあの日、なぜ阪神入りを決めたのか

「ドラヨン」が名選手になる理由(前編)

今年もドラフト会議がやってきた。メディアとファンの注目を集めるスター選手の陰で、地味なドラフト4位指名  =「ドラヨン」の選手たちが、のちにチームを牽引する存在へと成長するケースが多いことは、あまり知られていない。

なぜ彼らは強くなれたのか? 選手本人へのインタビューでその秘密を追う、田崎健太氏のノンフィクション『ドラヨン』から、阪神一筋の選手生活を送り「代打の神様」の異名をとったドラヨン、桧山進次郎の章を特別公開! 1991年秋のドラフト会議の日、桧山は何を想ったのか──。

「ぼくのところには記者は来なかった」

東都大学野球リーグを代表する長距離打者だった、東洋大学の桧山進次郎の元にはプロ野球球団のスカウトが訪れていた。

「12球団みんな来られてました。その頃は就職先としてみるので、好き嫌いではなくて、自分がレギュラーになれるか。つまり、ポジションが空いているかどうか、ですよね。ぼくは正直(三塁手の)守備があまり上手くなかった。プロに入ったら外野に行きたいなというのがあった。中学までは外野をやっていたから、楽勝やろみたいな」

もちろん人気球団か、そうでないかも選択材料となる。

「まず巨人は選手層が厚いから、きついなって。セ・リーグだとヤクルト(スワローズ)、大洋(ホエールズ)はええなって思っていた。パ・リーグならばダイエー(ホークス)。ちょうどダイエーに(勢いが)出てきたときだったんです。あとは華がある西武(ライオンズ)。この4つに行けたらええなって思っていました」

 

11月22日午後5時5分、新高輪プリンスホテルで1991年度のドラフト会議が行われた。桧山は同じくドラフト指名の可能性があった同級生の徳田吉成と共に監督室で待機することになった。大学に新聞記者の姿はなく、記者会見の準備もなかったという。

「マスコミからしたら誰が1位になるかって大体分かっていたから、ぼくのところには来なかったんでしょうね。1位はないやろって」

翌年に行われるバルセロナオリンピックのため指名凍結されていた選手がおり、圧倒的な目玉となる選手は存在しなかった。その中、注目を集めていたのは投手では駒澤大学の若田部健一、東北福祉大学の斎藤隆、日本大学の落合英二。野手では関西学院の田口壮たちの大学生だった。