2019.10.13
# エンタメ # ラノベ

現役のラノベ作家が、現在の「なろう系ブーム」を考えてみた

高木敦史の迷走物語(3)
高木 敦史 プロフィール

ムーブメント自体のピークはどこかで迎える(既に迎えた)かもしれないけれど、飛び込めばきっと楽しくて、俯瞰で見れば小説家になるための選択肢が増えたのだな、とワクワクします。

よくよく考えればスマホ全盛期の現在、「この先生の作品が読めるのはこの雑誌だけ」なんてこともなく、たとえば漫画ならば同じ作品がたくさんのアプリで配信され、あっちでもこっちでも読めるようになっています。小説でも、最近「LINEノベル」が誕生し、出版社の垣根を越えた作品が同じアプリ内で読めます。今後も電子化されたプラットフォームは続々登場することでしょう。

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読む側はもちろんのこと、書く側にとっても目移りする状況で、そうすると「何をどう書くのか」という「書く動機」も多様化していきます。動機が多様化すると、派閥が生まれ、派閥は三々五々に流浪してどこかのプラットフォームに辿り着き、やがてプラットフォームごとの「色」が生まれます

 

そのうち人の集まらないサイトは淘汰され、後発サイトは「試しにアプリを入れてみたけど他で見たことのある作品ばかりだ」とそっぽを向かれたりするかもしれません。更に時間が進めばジャンルや作家性で利用者層が分かれ、各プラットフォームは再びブランド化して「あの先生の作品が読めるのはこのサイト(アプリ)だけ」という状態に立ち戻るはずです。

ただ基本的な観点では、動機の多様化に反して評価の方は「読者に評価してもらう」のか「編集者・エージェントに評価してもらう」のか、という二択は変わらないのではないかと思います。

この二択、言い換えれば「自分の書いたものを面白いと思う人がいる」ことを期待するのか、あるいは「自分の書いたものを面白いと思う人がいる、と思う人がいる」ことを期待するのか、という話です。これらは対立する概念ではありませんが、似て非なるものです。

私の普段の小説は後者の方法で主に世に出ておりますが、果たして今後、前者採択の可能性はあるのか——小説投稿サイトを利用する日が来るのか? この命題こそが、私に「見て書く」以外の書き方を模索させるのです。

実際のところ、もし自分のデビュー当時に小説投稿サイトがあったら投稿していただろうか? あるいは漫画家を目指していた頃に、今や当たり前になった「ツイッターに自作の漫画を公開し、誰かの目にとまってバズった結果書籍化される」なんてことを目指しただろうか? 

結論から言うとたぶんやっていました。だって分かりやすくて、参入しやすくて、しかも読者に直接届くし、反応もダイレクトに返ってくる。投稿数が多すぎて一作一作が埋もれてしまうという問題点に目を瞑れば、非常に公平なシステムだからです。

そもそもにおいて、何か物語を作ってそれをお金に換えようだなんて非常に傲慢な考えで、そんなことをする人間は基本的に自分に自信のある人間です。ですから、人の目に触れれば触れるほど評価されるに決まっている、と考えるのは自然です。

私はきっと原稿を出力するためのプリンタも紙を留めるダブルクリップも買わなかったし、ユザワヤでトレース台を買うのではなくヨドバシカメラで液晶タブレットを買ったことでしょう。数人の編集者より、数多の読者に届けるために。

しかし、もしそうだったら今の人生はなかったとも思うのです。

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