「お仕事は?」「ええっと…………………作家…………………です」

失われた小説をもとめて【3】
藤田 祥平 プロフィール

どの店に入ればよいのかわからない

シンプルなアーチに「第三振興街」と記されているが、そのむこうはたんなる薄暗い路地にしか見えない。

いちおう、明るい通り(といってもただの車通りにすぎない)に面したぼろぼろの店には、「ムーディーサロン」たるサービスの看板が掲げられていて、身体に合っていない蝶ネクタイとベストを身につけた男が、店の前にうつむいて立っていた。

呼び込みをする元気すらないようだった。

それ以外に人通りはなかった。

しかし私は大阪生まれである。ジャンジャン横町や地獄谷といったレトロ系(もとは法律すれすれ)の盛り場に通った経験もあり、多少の免疫がある。

意を決して踏み込んだ。

 

こうした古い歓楽街に共通しているのは入り口の戸の低さだ。昭和前期の日本人男性の平均身長は、だいたい165cm(とグーグルは言っている)。その平均にあわせて設えられた戸から入店するとき、私のように図体の大きい者は身を屈めて入らねばならない。

しかしそうして身を屈めるとき、公によって脚色され、曲解されつつ再現された過去ではない、ほんものの過去へと入るのだ、と、しみじみと感じられる。

ただ、第三振興街はわけが違った。

入るにしても、どの店に入ればよいのか、ほとんどわからないのだ。

まだ日も暮れていないので明かりがついておらず、また、すべての店が恐ろしいほどに古び、看板や窓枠などに塵が積もっているので、どれが営業していてどれが廃店したのか、見分けがつかない。

東北の、陰鬱な夏の曇天のこの街で、開店している店を見定めるには、もはや野生の勘を必要とした。

私の描写の限界もここにある。三十年来開け閉めされていない戸と、近頃まで、日に二、三度開け閉めされたような戸の違いを、どんなふうに書き分けられるというのか。

しかし、人間には、その違いを嗅ぎ分ける勘が、もともと備わっているものだ。

この勘を頼りに私は路地……じゃなかった、歓楽街を進んだ。三十枚ほどの看板を見たとは思うのだが、おそらくいまも営業しているのは、そのうち十店舗に満たないだろう。

時間にして三分と経たないうちに、街は最後のどん詰まりまでをさらけ出した。

そのどん詰まりから見上げるようにして、青森市街のビルディングやアーケードの人いきれと賑わいを感じるとき、かつて青線の遊女たちが感じたであろう浮世の虚無と彼女らの意気を識るような気がしたものだが、しかし目的はそんなところにあるのではない。

こうした場所で瓶麦酒の一本も飲まないで、なにが作家か。

私はきびすを返し、きっぱりと……いや、ほんとうは三十分くらい辺りを呆然とうろうろしたのだが……あるスナックに入店した。